コラム
2017.8.10 木曜日エビデンスの罠 (2)
エビデンスの誤解
前回、エビデンスに基づいた医療(EBM)とは、患者の意思や、医師の臨床能力を総合的に判断して、患者の意に沿った最適な選択をしようという考え方のことである、と述べました。ところが、EBMが普及するにともなって、さまざまな誤解が生じました。その最大のものは、「エビデンスの優れた治療法を患者に適用すべき」、あるいは、「エビデンスがない治療法は実施してはならない」という誤解です。
一般的に、医師が処方する薬は、厚生労働省が定める厳重な基準にのっとって、最高度のエビデンスを立証しないと認められないと考えられています。ですから、治験成果というエビデンスのない薬は処方できない、手術を含めたさまざまな処置にはエビデンスが必要だ、と思うのは当然のことです。このような考え方の延長上に、最初にあげたような「エビデンスがないと使えない」という言い方がされるようになったのです。
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しかし、「医師が処方する薬は、厚労省が定める治験を経て最高度のエビデンスを立証しなければ認められない」というのは、実は正しい言い方ではありません。保険が適用されない薬を医師が処方することが禁止されているわけではないのです。
実際に、「まだ認証されていない薬ですが試してみますか?」と新薬を提案するケースもあります。あるいは、とくにガンの終末期の患者さんに多いのですが、「治療しない」という選択肢もあります。
もともと、エビデンスに基づいた医療(EBM)は、患者の状態や意志を大前提として、さまざまな治療法の中からどれを選んだらよいかを決定する際に、各々の効果や副作用などに関するエビデンスを比較検証した上で、最善の治療法を選択する、ということでした。
それが、「エビデンスが優れた治療法でなければならない」、すなわち、患者や医師にとって選択の余地がないという状況になるのは、本末転倒だといえます。(つづく)