コラム

2017.8.24 木曜日

エビデンスの罠(3)
フィットネスのエビデンス

前回まで、医療の分野でのエビデンスについて、EBM(エビデンスに基づいた医療)を中心にお話をしてきました。医療のエビデンスとはもともと、患者の状態や意志を大前提として、さまざまな治療法の中から最善の治療法を選択するための手段であったのにもかかわらず、「エビデンスが優れた治療法でなければ施してはならない」、すなわち、患者や医師にとって選択の余地がないというような誤解が生じてしまいました。

フィットネスでも同じことがいえます。

エビデンスがあるからといって、誰に対しても必ず有酸素運動をしなければいけないのでしょうか? ただ散歩するだけとか、お客さんの「もっと楽な運動をしたい」という希望をかなえる別の方法ではいけないのでしょうか?

フィットネスクラブに来るお客さんの多くは、「どういう運動がよいのか分からない」、「一番効果的な運動方法を教えて欲しい」というように、運動指導をインストラクターに委ねます。このため、エビデンスを評価する、つまり、何が最適なのかを判断するのはインストラクターであると考えるケースも出てきます。しかし、それは誤解です。

もちろん、学会が認めるエビデンスがあれば、推奨しやすいかもしれません。また、「国際的に権威のある学術誌に掲載された運動です」などと掲げて進められるプログラムもあります。でも、運動指導とは、そのようなお墨付きがないとできないものなのでしょうか?

たとえば、メタボ対策に効果的というエビデンスがあるからといって、つらい運動を勧めることが、本当にお客さんの幸せに繋がるのでしょうか? お客さんの愉しさや幸せを求める思いから離れていってしまうこともあるのではないでしょうか?

大切なのは、エビデンスがあるかではなくて、そのエビデンスが何のために必要とされているのか、そのエビデンスを求める気持ちがどこから生じているのか、という問題に気づくことなのです。

「何がしたいか」「どうなりたいか」を決めるのは、お客さん自身です。そして、「何が自分にとってよい運動プログラムなのか」についてのエビデンスを認定するのも、お客さん自身でなければなりません。つまり、フィットネスのプログラムにエビデンスがあるかどうかを決めるのは、お客さんだということになります。

新しい指導法を開発して、「こんなやり方があるかも」とお客さんに勧めたとします。そのお客さんに喜ばれて評価されたという事実だけで、エビデンスとしては十分だと思います。

インストラクターのみなさんがお客さんの気持ちを察して、その方の認めるエビデンスを提供してあげることができれば、それでよいのではないかと、私は考えています。