コラム
2019.3.20 水曜日ヘルスプロモーションへの挑戦16 スリーデ―マーチから“歩けオリンピック”へ
いよいよ東松山の20kmコースを3日間で歩く日本スリーデ―マーチ。という直前の夕刻、日本ウォーキング協会から呼び出された。本家本元の国際フォーデーマーチ(日本ではそれを“歩けオリンピック”と呼んでいる)を開催するオランダ協会の役員の歓迎会にウォーキング学会の事務局長として参加して欲しいとのこと。
こういう役務をこなすことも事務局長に求められていたのかと感心しながら出席する。宴もたけなわとなり、オランダの賓客との話も弾むうちに、「ぜひともオランダを歩いて欲しい」との言葉を受ける。それが決して招待ではないことはわかっていたが、まだロクな経験のない私は、即座に「来年はオランダに行きましょう」と約束した。
こうして、まだ20kmのウォーキングさえも体験したことのない私が、翌年7月のオランダ・ナイメーヘンで、50kmのコースを4日間(計200km)歩くという暴挙に挑戦することになってしまったのだ。
翌日、東松山で合流した学会仲間にそのことを話す。皆一様に、
「そりゃ無茶だよ」
と驚く。20kmと50kmの違いもよくわからない私は、
「これから色んな大会に出て少しずつ慣れていきますから大丈夫ですよ」
と意に介さない。
で、早速その日の20kmコースに向かう。皆と一緒に会話しながらのウォーキングを楽しむ。歩き終わってシューズを脱ぐと、左足裏にマメができていた。2日目は、そのマメを気にしながら歩いたのだが、今度は右足も膨らんでいる。3日目はついに、右膝の裏がだんだんと痛くなってきて、途中で右ふくらはぎが痙攣した。
なんとも驚きの“初完歩”だったが、その後、翌年1月に下田(20km×1日)と指宿(20km×2日)に参加し、2月には河津(30km×1日)、3月には倉敷(20km×2日)、と準備を積み重ね、さまざまなウォーキングテクニックを習得していった。
そして、いよいよ5月には50kmコースを備えた「東京国際スリーデーマーチ」。初日は時間の都合で30kmしか歩けなかったが、2日目に50kmコースに初挑戦。午前中は道を間違えて6kmほど余計に歩いたものの無難に過ごし、25km地点で30分ほど昼食休憩をして帰途に。
ところが、30km地点を超えると徐々に足裏が痛くなり40km頃からは脛にも痛みが上がってきて、最後は分速70m程のトボトボ歩行。「急性の腫れは冷やして治す」というスポーツ医学の教えにしたがって冷水に足を浸したが、左足首と脛の腫れは引かない。翌日は20kmコースを歩くのがやっとだった。“30kmの壁”か。オランダへ・歩けオリンピックの道は遠く険しい。