コラム

2017.12.26 火曜日

スペシャルインタビュー ZUMBA®の10年を語る
第2話 ZESとして、ZUMBA®インストラクターとして

 

 

 

 

 

 

 

中村 2007年にZESに認定されてから、ZESとしての活動はどのようにして始まったのですか?

 

和田野 最初からB1のトレーニングコースを全部任されるのではなくて、ZESのリーダー的存在だった金子智恵さんが中心になって、私たちはトレーニングをしながらあるパートを担当する、というレッスンを何回か繰り返していました。その後、私たちの中で二人組みになってB1を担当するようになったんですよね。

 

坂口 金子智恵さんは日本を代表するプレゼンターで、ZESになりJaniの通訳もされていました。もともとAFAAの指導陣でしたから、自然な流れでリーダーになってくださいました。

 

古川 通訳として、プレゼンターと同じ位置に立っていましたよね。ゼッケンをつけてオーディションを受けられていること自体、「え、どうして?」って感じがしましたけれど、本人にお聞きしたら、「公平にジャッジをしてほしかったから」とおっしゃっていました。

 

中村 最初から期待されていた方なのですね。古川さんはZES認定を受けてからアメリカに行かれたのですね。アメリカではZESとしての活動をされていたのですか?

 

古川 はい。2008年1月にワシントンDCに引っ越して、まる3年間は一時帰国の際に仕事をさせて頂くという感じでした。その間アメリカでは、USのZINアカウントはいただけなかったので、アメリカ国内で開催されているトレーニングコースを自分で調べて直接担当ZESに連絡を取り、行ける範囲でできるだけ顔を出させていただきました。

OJT(On the Job Training)のような参加の形でしたので、時には部分的に指導担当をするように言われて挑戦させていただいたこともあり、とてもいい経験になったと思っています。

 

中村 アメリカでの経験、どのようなことがありましたか?

 

古川 2008年に初のZUMBA® Conventionがフロリダであって、日本側からは事務局の飯塚さんとZES代表として金子さんが参加することになっていました。それでも行きたかった私は先代の社長に直接お願いして許可を頂き、参加することができました。

Conventionの冒頭で各国のZES紹介のステージがあって、日本代表として金子さんとともに1曲リードをとりました。リハーサルではBetoのチェックの目が鋭すぎて、怖くて目を合わせられなかったんですよ(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

2009年にJaniのレッスンを受けに行った時に、マイアミで行われるZESミーティングに連れて行っていただけるという話になり、急きょ参加の機会をいただきました。ミーティングの前日、各国からのZES何名かでBetoのクラスを受けに行きました。

クラスが始まる前にBetoから声をかけられたんですよ。「最後に1曲リードをとれるか? アジアからの他のZESにも声をかけているけど無理じゃなければやってみて」と言われて、びっくりして固まってしまいましたが、ここで怯んでどうする!?と奮起し、意を決してリードを取りました。よりによってラテン音楽の得意なメンバーの前でSalsaの曲を選んだのですが、終わってからBetoが近づいてきて、‘Congratulation!‘と言われたのがあまりにも嬉しすぎて、なかなか興奮が冷めなかったのを覚えています。

翌日のZESミーティングでは世界各国から集まったZESたちの前で、日本から初参加のZESとして紹介されて、Betoが日本で教育を担当したJaniのことを称賛していました。認めていただけたこと、Janiに対しても敬意を払えたことが本当に嬉しくて涙が止まらなくなって、泣き虫だと笑われました。でも、この経験は今でも自分の自信につながっています。

 

中村 ZUMBA®の本場で貴重な経験をされたのですね。

 

古川 青空の下でのイベントやショッピングモールの広場でのイベントがあったり、バスケットなどのハーフタイムショーでデモをしたり、ラジオ番組に呼ばれたり、いろいろなことを経験できました。野球の試合の前に球場の周りの道路を封鎖して、そこでBetoのマスタークラスがあったことも。参加しに行ったのですが、道路が混んでいてかなり遅れてしまって、ステージ近くまでいったのは最後の方でした。でもBetoがもの凄い人数の中から私を見つけてくださって、ステージに呼ばれるという嬉しいハプニングもありました。

 

中村 日本にいた皆さんはZESとして、またZUMBA®インストラクターとして教えていたと思います。開始当時はまだZUMBA®が初めてというレッスン参加者も多かったと思いますが、受けとめられ方はどうでしたか?

 

 

 

 

 

 

 

和田野 Janiが来日する時には勉強したいと思ってOJTに入っていました。それまで担当していたクラスをZUMBA®に変え少しずつ広げていきました。もともと、様々なダンスの要素をエアロビクスに加えたクラスだったので、自然な流れでお客様もZUMBA®クラスに参加して下さいました。ZUMBA®は何かが違う、と感じられていたようです。

 

坂口 私は2007年8月からスポーツクラブでZUMBA®のレッスンを持ち始めました。皆さんの反応がものすごく良くて、このプログラムはすごい!と感動した記憶があります。日本のメディアでも取り上げられるチャンスが多くあり、TVや雑誌の取材をよく受けました。今でも「あのテレビ番組をきっかけにZUMBA®を始めたんですよ~」なんてお話してくださる方もいらっしゃいます。

私の仕事の仕方も大きく変わりました。某スポーツクラブの査定官になる試験を受けたり、JWI(旧AFAA JAPAN)の指導陣にもチャレンジしたりしました。ZESに選ばれたのはいいけど、もっと頑張らないとインストラクターに指導なんてできないのではないかと必死でした。経験はどうにもなりませんが、知識や技術はすぐに増やすことができると常に思っています。

自分が持っているZUMBA®クラスの中から「B1を受けてみたい」、さらに「インストラクターになりたい」という方も出てきて、養成コースを担当することにもなりました。最初のきっかけをくれた1期生のみんなには本当に感謝しています。

 

豊福 最初の3年間はスポーツクラブのZUMBA®のクラスがどんどん増えたという感じがします。クラブ側もZUMBA®なら大丈夫という感じでした。

 

中村 ZUMBA®はいけると、どのフィットネスクラブも取り入れてきたんですね。第2期のZESはどのようにして選ばれたのですか?

 

古川 2期目のZES養成があったのは2008年でしたよね。

 

和田野 私はOJTで参加していて、JaniとPetraさんがカチアに声をかけに行ったのを見ていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

坂口 ピケロカティウスカさんは私が1期生で受ける時に誘ったのですが、その時、彼女はマイアミに行く予定があって受けられず、帰国してから2期生になったと思います。

 

中村 今、ZUMBA®にはいろいろなスペシャルコースがありますが、当初から分かれていたのですか?

 

古川 いえ、ZES2期生がピックアップされた後、1期と2期生が一緒にB2のZESトレーニングを受けました。2009年にZUMBA® Gold、2010年にTONINGとAQUAが入ってきたくらいで、今のような形になったのは2010年代に入ってからのことですね。

TONINGとAQUAはどちらかを受ける形でした。私はGOLDとTONINGはアメリカ滞在中に受講していました。GOLDは、2009年にフロリダのConventionに参加した際に、その時参加したZES全員でGOLDの生みの親であるJoy Proutyさんのトレーニングを受けましたね。2010年には一時帰国をしてTONINGとAQUAのトレーニングコースの通訳をさせていただきました。その後もGOLD,TONING,AQUAは何度もアメリカでOJTに入らせていただきました。

 

中村 2009年から10年にかけてコースが分かれていき、2010年代になって本格的に展開するようになったわけですね。第3期ZESが誕生するのはいつ頃のことですか?

 

豊福 TONINGとAQUAのZESを決める時です。ZESの募集があって、それぞれのトレーニングコースに参加するのが条件でした。築部玲奈さんと甲良順弘さんの2人が選ばれて、ZESは合計9人になりました。(つづく

 

※写真はイメージです(2007-08年撮影)