コラム

2017.12.5 火曜日

スペシャルインタビュー ZUMBA®の10年を語る
第1話 ZUMBA®との出会い、そして日本人ZESの誕生

プロフィール

 

 

 

 

 

 

坂口昌子(さかぐち まさこ)

ZUMBA®教育スペシャリスト、AFAA/JWI検定スペシャリスト。AFAA認定FITNESS ACADEMY エストレージャ講師。

 

 

 

 

 

豊福章江(とよふく ゆきえ)

ZUMBA®教育スペシャリスト、AFAA/JWIフルコンサルタント、AFAA認定FITNESS ACADEMY RESOLANA 講師。

 

 

 

 

 

古川真理(ふるかわ まり)

ZUMBA®教育スペシャリスト、AFAA/JWIフルコンサルタント、STRONG by ZUMBA®マスタートレーナー。

 

 

 

 

 

和田野広美(わだの ひろみ)

ZUMBA®教育スペシャリスト、AFAA/JWI検定スペシャリスト。AFAA認定FITNESS ACADEMY fitness mart講師。

 

 

 

 

 

中村好男(なかむら よしお)

早稲田大学スポーツ科学学術院教授、専門は健康スポーツ科学。日本ウォーキング学会前会長、日本スポーツ産業学会理事・運営委員長。Waseda ウェルネスネットワーク会長。

 

 

 

 

 

 

 

(株) Japan Wellness Innovation代表取締役社長 奥村 辰平

 

奥村 ZUMBA® Japanは今年(2017年)で10周年を迎えました。そこで、今日は第1期ZES(ZUMBA® Education Specialist)である4人の方々にお集まりいただき、皆さんがどのようにしてZUMBA®に魅せられていったのか、ZUMBA® Japan創立時にはどのようなことがあったのか、お話を伺いたいと思います。古川さん、坂口さん、和田野さん、豊福さん、中村先生、よろしくお願いします。

 

中村 奥村さんはAFAA JapanがZUMBA®を導入するよりだいぶ前、高校生の時にアメリカに行ってZUMBA®を見ていたと聞きましたが。

 

奥村 AFAA Japanの社長をしていた父が「アイデアフィットネスコンベンション」で発表されていたZUMBA®のクラスを視察した時に、通訳兼鞄持ちとして行きました。Betoと何人かの女性が踊っていて、楽しそうだなと思ったのが僕のZUMBA®との出会いです。

 

中村 皆さんはどのようにしてZUMBA®に出会ったのですか?

 

坂口 AFAA Japanに入る前にラテンエアロビクスを教えていたのですが、ある時、オッシュマンズというスポーツ店でZUMBA®のDVDを見つけたのがきっかけです。レッスンの振付のヒントになるようなものを探していていました。DVDを見てみると、ラテンエアロとは違う楽しさが感じられて、すぐにインターネットでZUMBA®を検索しました。

日本でZUMBA®を展開する予定はないのか、直接協会に問い合わせたところ、当時のAFAAの副社長のPetraさんがメールに返信をしてくださって、「AFAAと契約をしている最中なので間もなくです」と教えてくださり、しかも「もしよかったら、横須賀のアメリカ海軍基地内でZUMBA®協会主催のB1を開催しますから受けてみませんか?」と紹介してくれました。

横須賀に出かけて、会場に行くときにバスを待っていたら、すごく派手で格好の良い外国人の人がいたんですね。きっとこの人ZUMBA®に行くだろうと思って話しかけたのが、ピケロカティウスカさんだったんです(笑)。

 

和田野 アメリカの「アイデアフィットネスコンベンション」には毎年行っていました。その時周りにいたAFAAの指導陣はZUMBA®のクラスを受けていて、私もいつか受けたいと思いつつ、他に受けたいと思っていたクラスとバッティングしてしまって、ZUMBA®の存在は知っていたけれどもレッスンを受けられない状態が続いていました。

その後、2007年8月に日本で初めて開催されたトレーニングコースに参加しました。今のB1(Basic 1)で、当時は「レベル1」と言われていたんですね。私もラテンエアロビクスの指導をしていて、内容に近いものがあるからできるかな、好きになるかもと思っていました。

 

豊福 エアロビクスのインストラクターとして活動していましたが、ラテンダンスに興味があって、地元の福岡でラテンダンスをコロンビアの舞踊団の先生たちに教えていただいていました。ZUMBA®の体験会があることはAFAAの会報誌で知って、興味があったので初めて東京に出かけました。

会場に行く途中で道に迷ってしまって、汗だくで慌てて会場に入ったのを覚えています。すごく情熱的な感じで、こんなダンスがあるんだとびっくりしました。エアロビクスがほとんどローインパクトに代っていた当時、ハイインパクトな動きの入ったプログラムにはとても衝撃を受けました。

その後、ZUMBA®インストラクターのトレーニングコースがあることを知って、絶対に参加しよう! と思って、8月に大阪会場の方に申し込みました。

 

古川 私もラテンエアロビクスを教えていて、ラテン系のダンスや音楽を使っているプログラムには興味がありました。当時はZUMBA®にかぎらず色々なプログラムのプレコリオが日本に来ていて、行きたいと思うワークショップには自分のスケジュールをチェックして行くようにしていたのですが、いくつか重なって行けなかったこともありました。

たまたま3月にZUMBA®の体験会が入った時は自分のスケジュールが空いていて、やっとラテン系のプログラムで受けられると思って参加しました。体験会では、“私にはこれしかない! これ、絶対楽しい!”と、顔色が変わるくらいの衝撃を受けました。8月にトレーニングコースが来る時には絶対に受けようと心に決めて、東京会場に申し込みました。

 

中村 2007年3月に東京で体験会があり、8月にレベル1のトレーニングコースが東京と大阪であったわけですね。

 

 

 

 

 

 

 

豊福 トレーニングコースの会場は体育館で、クーラーがなくて扇風機だけの熱いところだったのを覚えています。プレゼンターのJaniさんが来日して、通訳がついてのセッションでしたが、私も衝撃を受けました。

 

中村 レベル1のトレーニングコースを修了すれば、誰もがZUMBA®インストラクターになれたのですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

古川 はい。それから、トレーニングコースに申し込む段階でスペシャリストコースの案内もあって、「スペシャリティコースの希望者は○をつけて下さい」というようなことが書いてあって、スペシャリティの意味がわからなかったのですが、迷わず○をつけました。

トレーニングコース中、スペシャリティコースの希望者はゼッケンをつけていて、JaniとTanyaが審査員として、動きや他の人が踊っている時にどういう態度をしていたか、指示に従って動いていたか、柱の陰でチェックしていたようです。私は楽しくて、審査されているのに気付かなかったほどで(笑)。

そして、2日目の最後に番号を呼ばれて、残るように言われたんですね。翌日の3日目が本当の意味でのオーディションで、突然、「明日発表するコリオを4つのリズムの中から1つ選んで作ってきなさい」と言われました。一晩で考えるしかなかったんですよね。

 

豊福 大阪の2日間のトレーニングコースが終わって、その3日後がZESオーディションでした。台風で大阪から福岡へ帰れずに、福岡から参加された方と一緒に駅周辺で必死にホテルを探して泊まりました。ZESオーディションまで行けるとは思っていなくて、慌てて地元の仕事の代行を探しました。もし代行が見つからなかったら東京には行けなかったので、代行してくれた友達にはすごく感謝しています。

 

中村 オーディションで残ったのは8月、その後、すぐにZESに認定されたのですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

古川 いえ、その時はまだ候補生でした。11月にJaniが来日して、レベル1のトレーニングと併せて私たちのトレーニングがありました。日本人ZESの養成のためにはアメリカのZESが来日してトレーニングをすることになっていたようです。

ZES認定の発表があったのは11月のトレーニングが終わった後でした。翌年の2008年1月に私はアメリカに引っ越すことが決まっていて、ZES認定を聞いた時には嬉しかったけれど、「私はワシントンに引っ越しが決まっているけれど、本当にZESの認定を頂いて大丈夫ですか?」とその場で聞いて、「大丈夫です」と言われて、泣きました。

 

 

 

 

 

 

 

和田野 AFAAのスタジオがまだ横浜中華街にあった時でしたよね。6人のZESの発表があって、ZUMBA®のロゴマーク入りのネックレスをもらった時、みんなで泣いたのを私も覚えています。 (つづく

 

※写真はイメージです(2007-08年撮影)