コラム

2018.6.29 金曜日

“ヘルスプロモーション”への挑戦 I ウォーキング編
4 悩める学生

最初のプロジェクトが終わってほっとしていた1998年の暮れに、大学院生のT君が私につぶやいた。

「先生、Aちゃんが悩んでいますよ。助けてあげてくださいよ。」

「Aちゃん」とは、その前の春に大学院に進学した才媛で、明るくて真面目でウォーキング教室の参加者からも好かれていて、私としても頼りになる存在だった。そんな彼女が「悩んでいる」というのである。

このプロジェクトは、私が代表責任者であり、助手のN君が実務の切盛りをしてくれて、A君がその下で様々な仕事を支えてくれていた。N君もそうとう疲れていたようであったし、ここでA君がくじけたら、このプロジェクト自体の存続が危ぶまれる。

その頃の私は、ここで成功した「ウォーキング研究」を今後どのように発展できるのかということに腐心していた。研究費を確保するためにも、今回のウォーキング教室の研究成果を速やかにまとめて論文発表しなければならないと考えていた。そして、そのための具体的な作業として、体力測定の結果のみならず参加者に記録してもらった毎日の歩行歩数の膨大なデータ処理、そして、それを多角的に利用できるようにするためのデータベース作りなどなど、様々な業務スケジュールをN君やA君に指示していた。

ところが、当のA君は、私が実現しようとしている研究の全体像もつかめないままに、そこでの業務を「自分の仕事」として果たす責任の大きさに当惑していたようだったのだ。

A君は、その前年の春に大学(学部)を卒業したのであるが、卒業研究では「筋電図による水泳動作の解析」を行っていた。研究手法も対象とした課題も目新しいものではなかったし、私の目には「つまらない研究」としか映らなかった。彼女自身も、運動生理学の実験室の中で研究を進展させていったとしても大した評価がなされないということは、薄々感じていたと思う。

だから、今回の研究プロジェクトは彼女にとって格好のものだと私には思えた。でも、本人にとっては必ずしもそうではなかったようで、“中村先生やNさんに言われるままに手伝いをしていたら、自身の研究ができなくなってしまうのではないか”という不安を常に感じながら日々の仕事をこなしてくれていたようなのだ。

そんな彼女を、私の研究室に呼んだ。年が明けた99年の1月初めのことである。そこでじっくりと話を聞いた。秋に行ったウォーキング教室のこと、今回の研究に協力してくれた多くの参加者とのふれあいのこと、体力測定のデータ処理のこと、今頼んでいるデータ処理の進捗状況のこと、助手のN君をはじめとする研究室の皆との人間関係のこと、卒論でやった研究のこと、そしてなによりも、どのようなテーマで修士論文を書こうとしているのかということ。やはり、自分がちゃんと修士論文の研究ができるのかということに、大きな不安を抱いているようだった。

「僕が思い描いているような研究を実現するためには、君の力がどうしても必要なんだ。だから、君が他の研究をせずにこのテーマで修士論文を書いてくれると嬉しいんだけれど・・・」

と、こう語りかけたところ、彼女は顔を崩して「えへへへ」と小さな声で笑った。

こうして、私の大きな構想の第一歩は、つまずくことなく進行できることとなったのだった。