コラム

2018.5.2 水曜日

“ヘルスプロモーション”への挑戦 Ⅰウォーキング編
1「始まり」のはじまり

“ヘルスプロモーション”とは、 WHO (世界保健機構)が1986年のオタワ憲章において「自らの健康を決定づける要因を、自分自身でよりよくコントロールできるようにしていくこと」と定義したことに始まる。ヘルスプロモーションは健康を「生きる目的」ではなくて「人々が幸せな人生を送るための大切な資源」ととらえた。

 

私が“ヘルスプロモーション”の分野の仕事に関わり始めたのは、1983年のことであった。その年の春に大学院博士課程に進学した私は、運動生理学の基礎研究に従事する一方で、教授が請負った様々な仕事に駆り出された。そのなかの一つに「フィットネスチェック(体力測定)」があった。ときには測定結果を踏まえて“健康相談”をしたこともある。

「運動生理学の専門家」という肩書きなのだが、やっていることといえば、人の胸に電極をつけて“動かない自転車”をこいでもらい、機械に表示される数字(心拍数)を記録して、式に当てはめて計算するだけ。最大酸素摂取量が心拍数からどのように計算されるのかには確かに詳しかったが、中高齢者が直面している症状や疾患についての知識には乏しく、ちょっとかじった程度の知識でよくまあ務まったものだと今さらながら思う。

だいたい、そこで測定している指標がどのように“健康”と結びつくのか、そもそも我々が想定している一般的な“健康”とはどのようなもので、それが一人ひとりの幸福とどのように関わるのかなんてことは、当時はまったく考えもしなかったのだ。クライアントの質問に答えが詰まって冷や汗をかいた記憶もある。

当時はフィットネスブームのはしりで、私に限らず現場のインストラクターも知識不足を露わにすることが少なくなかった。インストラクターを対象とした講習会を商売にする会社もあったほどで、そういう講座の講師もよく頼まれた。私が話すのは「運動生理学の基礎」とか「体力測定の方法と評価」などといったいわば“理論もの”であったが、単なる大学院生のアルバイトを超越した崇高な使命感も抱いていた。ところが、そのような“理想”を求めれば求めるほど、“机上の論理”の限界も痛感していたのであった。

「いったい、この話がどれほど役に立つのだろうか?」

真剣に自問自答しても、答えが出てこない。苛立ちを感じていた。

 

その後、現在の大学に奉職してからも、ときどきその手の講師を頼まれることがあった。そのたびに最善を尽くそうと思い、そしてまた、たいていの場合は“全力を尽くした充足感”は得られるのだが、それでも“これは机上の論理だ”という思いが消えることはなかった。

いったい何に不満だったのか。それは一言で言えば、「フィットネスに励む人々の顔も見ずに、健康になるための理論を語っていること」だ。講習会に集まるインストラクターの顔を見ることはあっても、その先のクライアントが何を望んでフィットネスクラブに集まっているのか、まったく知らずにフィットネスの理論を語ること。確かに受講者であるインストラクターの皆さんは私の話を真剣に聞いてはいるが、その先を確認できない私には、常に正体のわからないものをつかんでいるような不安感があったのだ。

 

もちろん、私が語っていたのは実験成果に基づく科学的な理論である。でも、運動生理学の理論は、人々の身体を単なる物体としてしか認識しないのだ。心臓も血管も組織(物質)の集まりだし、筋肉での代謝は栄養(物質)の化学反応として語られる。フィットネスの代名詞のようにみなされた最大酸素摂取量も、肺・心臓・血管・筋といった種々の組織の関係性の中で理解され測定される。

例えば「1回30分以上の中強度以上の運動を週に3回程度行うと、最大酸素摂取量が2ヶ月で10%程度向上する」ことなど、1970年代の様々な実験結果に基づいて確立した運動処方も、「運動」という物理的な刺激が物質としての身体に作用を及ぼして、その適応として「最大酸素摂取量」という機能が改善するという物質理論の表明に過ぎなかったのである。

ところが、誰もが知っているように人は単なる物質(ボディ)ではない。意思があり志向があり、人間関係があり文化がある。私がこの分野の仕事に携わりはじめたフィットネスの草創期にあってもすでに、フィットネスクラブにおいては「目標を達成した会員へのTシャツプレゼント」とか「クラブ会員のためのパーティー」などが着目されていたし、継続率を高める工夫やマーケティングの重要性は周知のことだった。

身体運動科学が提案した「フィットネス理論」を具現化するためには、ただ単にマシンをそろえたり指導マニュアルを作成したりするだけでなく、心理的アプローチや社会的アプローチが並行して進められなければならない。しかしながら、その理論化に関しては、当時はほとんど注意が向けられてはいなかったのだ。

いわば、フィットネスプロモーションの理論体系は運動生理学に偏った片肺飛行状態だったのである。それが私の不安感の源泉であったともいえるだろう。大学院→助手→特別研究員→専任講師と変遷した約10年間、主として呼吸と循環に関する運動生理学研究を進めていくにつれて、「現場での実践研究がやりたい!」という思いが密かに募っていくのであった。

その思いは、健康スポーツのフィールド研究への憧れを膨らませていった。(つづく)

 

中村 好男

早稲田大学スポーツ科学学術院教授、専門は健康スポーツ科学。JWIアドバイザー。日本ウォーキング学会前会長、日本スポーツ産業学会理事・運営委員長。Waseda ウェルネスネットワーク会長。