コラム
2019.1.8 火曜日Dr.カイボーの眼
第42回 みなさんの願いはすでにかなっている
平成最後の新年を迎えました。平成は一言で表現すると、昭和で築き上げたものが通用しなくなり、新たな形を模索した時代だったと思います。国内外で多くの不安、怖れ、怒り、願い、祈りがありました。もちろん幸せもありましたけれども。
私たちは日常の多くの事象に対してほとんど無関心で、自分の興味の向く一部のことだけに注意を向け、しかも自分の過去の経験とその記憶に伴う情動から来る一方向的な、パターン化した認知に依存した生活をしています。そのために様々な見解の相違のある人たちから受けるストレスや思いもかけない衝突に苦しんでいるひとは多いと思います。
私の患者さんの中にも、私の顔を見た途端に思いが溢れ、涙を流され、30分ほど傾聴することも稀ではありません。そして多くの方の注意は自分の外に向かっていて、他人との比較による落ち込みや他人からの評価や批判で心が傷ついた思いを述べられます。
しかし、問題を解決する手段と答えは、実は自分の中にあります。
気づきの実践をマインドフルネスといいます。ブッダは「今ここに気づいて生きることは、幸福と喜びのみなもとである」と語りました。気づくためには止まること。まずは自分の呼吸に意識を向けるのです。自分のひと息ひと息に気づきを持つことは喜びと幸福を生みだすチャンスなのです。
その呼吸は浅くて短い呼吸なのか、深くて長い呼吸なのか、無意識にしているその呼吸に気づきを持つことは¨あるがままの自分¨を受け入れる一歩になります。そうして自分の呼吸に気づきながら、さらに日常で起きていることの様々な事象に対して気づきを増やしていきます。そのことにより自分がどんなに一方的な見解で物事を見ていたかに気づき、それと同時に自分にまとわりついていた様々な思い込みや執着を手放していきます。
一瞬たりとも事象に変化のない時はなく、無常です。呼吸一つとっても常に変化しています。血圧も常に変動しています。私たちの身体の60兆個の細胞は常に情報交換をしていて、反応しています。思考は常に浮かび上がってきていますし、瞬時に思考に情動が乗っかっています。そうして私たちは行動をしています。一瞬たりとも同じ瞬間はありません。
ひとは受け入れられなくて苦しみます。嫌なことは考えないようにして無視しようとします。しかしそれはそのうちに抑えこめなくなります。嫌なことにも向き合うことです。嫌なことでも¨あるがまま¨に受け入れると不幸ではなくなります。受け入れないから不幸なのです。
ひとは生まれる時に、誰しもが「生きたい」と全力で願いました。そしてみなさんは生きています。みなさんの願いはすでにかなっています。生まれてきた時はあるがままでいました。その後、欲や執着や思い込みを身にまとってきました。本来の自分になるにはそれらを手放すことです。自分の呼吸に意識を向けて生活するマインドフルネスをお勧めします。
今、ここから続く時代が幸福でありますように。またみなさまとどこかでお会いできましたらと思います。ありがとうございました。