コラム

2018.3.30 金曜日

スペシャルインタビュー シリーズAFAA JAPAN30年
AFAA CEP・相原和子さんに聞く

 

 

 

 

 

 

相原 和子(あいはら かずこ)

AFAA Continuing Education Provider(AFAA継続教育プロバイダー)、元AFAAコンサルタント。LLC. 日本ヘルスコンサルティング協会代表社員、愛知大学非常勤講師

 

◇第1話 AFAAはインストラクターを成長させる研鑽の場

◇第2話 ピラティスを極めようと…

◇第3話 AFAAの魅力、JWIへの期待

 

◇第1話 AFAAはインストラクターを成長させる研鑽の場

奥村 今日は長年にわたってAFAAコンサルタントとしてフィットネスインストラクターの教育やプログラム開発に携わり、現在もAFAA継続教育プロバイダーとしてご協力を頂いている相原和子さんをお招きしました。今年(2018年)はAFAA JAPANが創設されてから30年目の年に当たります。この機会に、相原さんのこれまでのお仕事やその間に感じてこられた、AFAAの魅力について語っていただきたいと思います。相原さん、よろしくお願いいたします。

中村 相原さんがフィットネスに出会ったのはいつごろですか?

相原 25歳の時に、義理の妹に誘われて地元のスポーツクラブに通い始めたのがきっかけです。それまでは運動経験は全くなし、スポーツクラブにも行ったことがなく、エアロビクスも初めての経験でした。

中村 その相原さんがインストラクターとしての仕事を始められたのには、どういうきっかけがあったのですか?

相原 通っていたスポーツクラブのインストラクターの方に「インストラクターにならない?」と誘われて、そのまま養成コースに入りました。早くに結婚をして2人の子どもの子育てをしながらも、何もなし得ていないなと思うことが多く、何かをやりたいと思っていた時でした。

当時のフィットネスインストラクターはスターのような存在で、カリスマ性が強い方が多かったです。誘って下さった方もAFAA認定の人気のあるインストラクターで、憧れの存在でした。その方に「インストラクターにならない?」と誘われたものですから、とても嬉しかったのです。

それに、初めて経験するエアロビクス、もう楽しくて…今まで見た世界と全く違っていました。大人が声を上げて楽しんで、汗もびっしょりかいて、すごく爽快感があるわけです。それまで家庭の中にいて、何となく気持ちがふさぎ込んでいる状態だったのに、自分が変わった、世界が変わったという印象をもちました。

インストラクターになるために家族もバックアップしてくれて、先生も時間をかけてゆっくりと教えてくださいました。「これを読んでおきなさい」と渡された当時のAFAAのマニュアルは非常に古くて、アメリカのテキストがそのまま直訳されているような状態で、読んでもスムーズには意味が理解できなかったのですが(笑)。でも、「世界に通用する資格だから頑張りなさい」と励まされて、一生懸命勉強しました。

中村 AFAAのメンバーになったのはいつ頃ですか?

相原 27歳の時です。2日間のPIC(Primary Instructor Certification)の講習と認定試験を受けて、合格してAFAAのメンバーとなりました。子どもがまだ小さかったので急に休みを取らなければならないこともありましたから、フィットネスクラブのインストラクターとして働くのではなく、託児ルームがある地元の女性支援施設を借りて、自分と同じ環境にいる子育てをしているママたちのためのサークルから始めました。

インストラクターになった後、自分のサークルをやっていくうちに、だんだん対象者が広がっていきました。主婦の方々から始まって、子どものエアロビクスやマタニティとか産後のリカバリー、シニアと、幅広く仕事をするようになりました。その後、自分のサークルの運営の他に、地元のスポーツクラブから依頼を受け、レッスンを担当することになり、後にプログラムアドバイザーになりました。

いつしか、対象者が増えれば増えるほど、知識として足りないことが見えてきて、常に新しい知識を入れて深めていかないと対応できないなと、責任の重さを感じるようになっていきました。そのたびにAFAAのワークショップに行って、自分に足りない部分を勉強させてもらうという生活でした。ワークショップに参加して講師の方たちとお話をしていくうちに、皆さんの中に入ってしっかり勉強させていただきたいと思うようになり、31歳の時に「エグザミナー」登用試験を受けました。

中村 インストラクターとしての仕事の道が広がり、成長するのにつれて新たな課題も見えてきたわけですね。

相原 インストラクターとしてリードを取って仕事をする時には、何かいつもとは違う強い自分が出てきている感じがして、新しい自分の発見という喜びがありました。でも、インストラクターとして成長していくのには苦しみを伴うこともありました。人前に立ってお客様のモチベーションを上げていく時に、自分がいまどんな精神状態であるかは関係ないですよね。自分がどんな状況であっても、お客様には満足して帰っていただけるようなリードを取らなければならない、自分をしっかり見つめて足りないものを加えていくという作業が辛いと思う時もありました。

たとえば、子どもの具合が悪かったこともあったし、前のレッスンでうまくリードが取れなかったとか、お客様からクレームが来ることもあって、ちょっとした恐怖心が生まれることもありました。自分の体調が良くないとか、体型に満足がいかなくて人前に立つのが嫌だなと思う時も。「常にジャッジされている、常にお客さんに元気な顔を見せなければならない」と力んでしまった時期もあったと思います。そういう自分の未熟さを克服し、プロとしての意識を高める必要がありました。

中村 エクザミナーとなってからは、別の責任も生じてきますよね。

相原 インストラクターという職業は、お客様が信頼して下さるような状態になると、さらにいろいろなことを聞かれることが多くなります。その時に嘘をつくわけにはいかない、誠心誠意尽くさなければいけない。確かな知識を深めていく必要があります。知識を提供するAFAA指導陣として担っている責任は重いと自覚し、自己研鑽に励もうと思いました。常に学びを継続しなければならない、それはどこまでいっても終わらないだろうと考えるようになりました。

中村 分からないことが多いことに気づいて、さらに知りたいと思うようになる。AFAAではそういう人材が育つということですね。

相原 はい。ワークショップ参加者が、「学んだ後は、自分の仕事をするのが楽しみになります。知識を得たという満足感があるからすぐにでもお客さんにお話したくなります」と喜んでくれて、それに応えるようさらに努力する。そうやって成長することができたと思います。

中村 AFAAはインストラクターとして成長するための研鑽の場だったのですね。

相原 はい!常にプレッシャーがかかっていました!(笑)。AFAAにはインストラクターが常に成長できるような良い意味でのプレッシャーがあると思います。様々なチャンスを与えてくれたのがAFAAでした。私の場合、結果的に大学に進学するというところまでAFAAが持ち上げてくれたと思っています。とても感謝しています。

 

第2話 ピラティスを極めようと…

中村 相原さんは2008年に同志社大学スポーツ健康科学部に入学され、さらに大学院に進学し2014年に卒業されました。

相原 41歳の時に、社会人になって初めて大学の一般入試を受験しました。AFAAではピラティスという部門に所属していたのですが、ピラティスは非常に奥深いエクササイズだと思いました。AFAAのワークショップには全国のたくさんの方々が受講に来て下さっていて、インストラクターの皆さんから、もっともっと体のメカニズムを知りたいという声も多く聞きました。

ピラティスは元々、西洋からきているプログラムです。ムーブメントを行う際に細やかな配慮が必要なのですが、それは東洋人の骨格でも一緒なのだろうか等々、考え始めるようになって、しっかり勉強したいと思うようになりました。周りの人たちも私を信頼し求めてくれていたので、一か八かで大学を受験してみようと。

それに、当時のAFAAの顧問の先生だった医学博士の安藤邦彦先生が度々「君たちの仕事は科学に基づいたものでないと未来はない」と言われていたので、考えるようになっていました。安藤先生は「ピラティスはこれから腰痛予防や姿勢改善に非常に役に立つので、もっとちゃんと勉強しなければだめだ、イメージ的なことを喋っているだけではだめだ」と言われていました。定期的にAFAA医科学アカデミーが開催されていたのですが、私たちに研修医と同じレベルの話をなさっていたそうです。

私は先生が伝えて下さることをそのまま理解することができなくて、焦りを感じて、自分で腰痛などについての本を買って初歩から勉強を始めました。同志社大学を受験して受かったことを安藤先生にお伝えした時、大変喜んでくださいました。大学院で研究する時も相談に乗ってくださって、アドバイスをしてくださいました。AFAAからいただいたご縁です。

中村 相原さんは向学心向上心の強い方ですね。私も大学の教員をしていますが、相原さんのような方にはこちらからお願いして入っていただきたいくらいです(笑)。相原さんはピラティスについての論文も書かれていますので、ピラティスについて少しご説明いただけますか?

相原 ピラティスはヨガと格闘技とモダンバレエを融合させた身体調整法、体幹トレーニングで、今から100年近く前の1920年代にドイツ人のジョセフ・H・ピラティス氏が考案したプログラムです。当初はダンサーや舞台俳優のリハビリテーションに使われていました。2000年代に入って、アメリカで歌手のマドンナなどのハリウッドスターがトレーニングにとり入れたこともあって、ニューヨークで爆発的な人気が出て世界中に広まっています。

ピラティスは元々、ボディワークとしてマニアックなもので、指導者が脊柱・骨盤の配列や深層筋に確実にアプローチするためのポジションなどをきちんと理解して指導すべきものです。的確でなければ、逆にヘルニア悪化など身体を痛めることもあります。高いレベルの知識が必要で、指導する上での作法が多いゆえにわかりにくくなるという側面があって、資格を取得するには時間もお金も大変かかるプログラムでもありました。素晴らしいプログラムなのに普及するのに時間がかかってしまう。そのため、もっとわかりやすく体系化して理解し易い、フィットネスプログラムとしてのピラティスがAFAAによって考案されました。

このプログラムは、短期間で指導者になれるように簡略化はしていますが、大事なポイントは外さないように作られていました。プロのインストラクターが4日間でベーシックな指導ができるところまでマスターし、スペシャリティーコースで段階を経て知識を深めていく形で提供しました。当時、大変画期的だったと思いますが、基本的にはAFAAのスタンダードガイドラインを学んだインストラクターが参加対象となっていましたので、取得は可能だと確信していました。

中村 ピラティスを極めようと大学院まで行かれたわけですよね。極めることができましたか?

相原 いえ、奥が深くて、極めるには道は本当に遠いなと。さらに博士課程に進学という選択肢もあったのですが、科学の世界には研究者として素晴らしい先生方はたくさんいらっしゃって、41歳からの自分のスタートではとてもとても追いつかないと思いました。

それに、自分はあくまで実務者であり、科学的な研究成果をいかに実務に落としていくか、科学と現場の橋渡しをして、現場が科学に基づいた力を発揮できるようにするか、そこが自分の役割なのではないかと思いました。

中村 科学と現場との橋渡し、そこに気づくのってすごいですね。

相原 修士論文を書く時に、ピラティスという運動動作を解析するための基準値が必要だったので、そのためにデータを集める必要がありました。そこで全国のインストラクターの方々に集まっていただいたんですね。AFAAに所属している人たちはもちろん、ピラティスのワークショップには垣根がなくて色々な団体から人が集まっていたので、そこで会えた方たちにお願いしたところ、すぐに皆さんボランティアで京都まで集まってくださって、データを取らせていただくことができました。研究も大事だということを皆さんが分かってくださっていたからだと思います。

お蔭でそのデータから基準値を作り、ピラティスが目標としている動きを定量的に評価できました。未体験の方の動きは基準値からどのくらいのズレが生じているのか、ピラティストレーニングを継続した後、そのズレに変化があるのかを調べることができました。

 

第3話 AFAAの魅力、JWIへの期待

中村 当時、AFAAに集まっていたインストラクターの方々は、相原さんの研究を理解し支えてくださったのですね。

相原 ACSM(アメリカスポーツ医学会)のガイドラインもしっかり勉強している方たちですから。個人の経験に基づく指導だけでなく、科学的な分析を基にしていかないと、オールを持たずに海に漕ぎ出すようなことになってしまいます。皆さん必死に勉強をしていて、常に科学的な情報を欲していたのではないかと思います。

たまたま私はラッキーで大学が受け入れて下さったので、その経験を現場の皆さんとシェアして、お互いの自信につながっていくものを一緒に作っていけるように頑張っていかなければと思っています。

中村 今のお話もAFAAの魅力の一つだと思いますが、相原さんにとってのAFAAの魅力、他にどんなことがありますか?

相原 凡人の私をここまで引き上げてくれたのがAFAAでした。先輩の方々が何の先入観もなく私を受け入れてくださって、手加減なしで厳しく教えて下さいました。海外に行ってプレゼンターをしたり、沢山の人の前でリードを取ったり、テレビ出演もさせてもらったり、いろんなチャンスを与えて下さいました。人生の中でAFAAに出会うことができて、本当によかったと感謝しています。

中村 教育機関なのだから人を育てるのは当たり前だけれども、単に研修をやりました、ライセンス認定しました、だけではなくて、その間にメンバーの能力をどんどんと引き出していく仕組みがAFAAにはあるということですね。

相原 AFAAにいることで、沢山の人たちと関わって大きく成長していくことができると思います。昔からAFAAはオープンマインドで、セミナーの展開の仕方とか、アメリカナイズされていてとてもかっこいいですよ。経験不足のメンバーへのサポートもスマートで、プレゼンターも参加者に上から目線で話をするのではなくて、そっと背中に手を当てた状態で、「さらにこんな情報もありますよ」という形で話す。それがチームワークの良さにもつながっていて、みんな仲間だよねという雰囲気になる。素晴らしいと思います。

中村 AFAA Japanは2015年にJWIとなりましたが、JWIに対してはどのような印象をお持ちですか?

相原 AFAAはACSMや世界学会で発表された研究をもとにガイドラインを作って、それにのっとって展開していますが、JWIは日本の状況もプラスして、独自のプログラムもどんどん開発していただきたいと思っています。

AFAAのスタンダードガイドラインは、インストラクターが一般の人たちにフィットネス指導をするうえで最低限必要なことだと思います。そこからさらに、人の心を動かすようなプログラムや、既成の枠にとらわれないプログラムを考えていくことができるのではないでしょうか。フィットネスの業界に関わらず、職域であったり地域であったり、いろいろな形でいろいろな方々に働きかけたりすることもできて、JWIはさらに自由度が高いのではと思います。

私は、これからは人々のヘルスリテラシーを高め、身体と「こころ」を融合させていくようなプログラムが必要となると思い、職域で社員の皆さんが本格的な運動習慣に関心を持てるように働きかける活動を始めています。理由はわからないけれども不調で作業効率が上がらない、そんな方々のために、職域の中で改善していくプログラムを提供したいと、大学院を卒業してからずっと考え準備していました。

これまで人から沢山のことを頂いているので、自分はシェアをしていく、循環させていく立場にいると思っていて、社会貢献事業として自分の持っている知識や経験を活かしていくにはどうしたらいいか、さまざまに考えているところです。

中村 フィットネスクラブの中だけでなく、あるいはフィットネスクラブに通う前段階での身体と「こころ」を融合させていくようなプログラムの開発、今後のフィットネス界の新たな流れになると思います。

相原 ままならなくなってしまった自分を持て余しているという人は世の中にたくさんいますよね。大学院生の頃、ある先生が「どうして自分の周りに厚い雲が張ってしまったのだろう?」という問いに身体からアプローチしていく時代がやってくる、とおっしゃっていました。

楽しくコミュニケーションが取れる、さらにコミュニティができる、そういうアプローチって、まさにフィットネスのインストラクターが力を発揮できるところではないかと思います。元気になって自分の人生がまた楽しくなってくる、そういう人たちが増えていくのがフィットネスインストラクターの喜びではないかと思います。

長い間、運動習慣をもち続けていけるような、わくわくするような環境を作れるインストラクターが活躍することで、フィットネスはどんどん広がっていくし、面白いことになっていくのではと思います。多くのインストラクターが参加する団体こそ、国民の健康増進、という現在の日本の課題の下支えができるのではないかと思います。

中村 素晴らしい、の一言です。ありがとうございました。最後に奥村さん、お願いします。

奥村 相原さん、大変有意義な時間をありがとうございました。AFAAはフィットネスインストラクターにとって、各々の目的・目標の中で成長することができるプラットフォームであるということですね。そしてJWIという大きな枠組みになり、より魅力と発展性を感じていただいているということ、大変嬉しく思いました。

心へのアプローチを身体へのアプローチを通じて実現していく、インストラクターの皆様にとってとても重要な観点ですね。そしてそれこそがフィットネスインストラクターがこの社会においてとても重要な役割を担い、今後ますます必要とされていくということを意味していると思います。

JWIでより多くのインストラクターの皆様の夢の実現を手助けし、より多くのお客様が幸せになるような環境をどんどん作っていきたいです。本日は本当にありがとうございました。