コラム

2017.9.5 火曜日

Passion for ASIA 1st

高校時代はオーストラリアで過ごした。シドニー教会イングランドグラマースクールという、オーストラリアでも古い歴史をもつ高校だった。

 

神奈川県相模原市で育ち、地元の中学を卒業するまでの子ども時代は、ちょうどバブル経済がはじけて、今ふり返ると日本ではあまり明るいニュースがなかったように思う。海外は日本よりもキラキラしていて楽しそうだ、そんなイメージをもっていた。

 

最初はアメリカに行きたかった。海外に行くならアメリカだなと思っていた。が、2001年に起きた9.11テロの影響で、アメリカを諦めて行く先をオーストラリアに変えた。学校は男子校で一学年200人ぐらい、生徒の半分は寄宿舎で寮生活を送っていた。日本人は自分ひとり、アジア人もほとんどいない。

 

あれほど憧れていた海外、欧米の白人文化。3年間の高校生活の中で、もちろん、オーストラリア人の友だちはたくさんできた。とても楽しい、今までの人生の中でも素晴らしい時間だった。合理的な考えで物事をどんどん進めていく彼らの様子から多くのことを学び、また爽快に思えた。

 

しかし同時に、自分は日本人(アジア人)なんだと強烈に感じた。アジアの人々に会うと、なんとなく親近感をおぼえ、自然に団結もできた。

 

このころから、私は日本人として今後何ができるのか、何をするべきなのかということを毎日のように考えるようになった。まずは日本、そして身近なアジアのことを学ばなければ、本当の意味での国際人にはなれないと感じた。英語を喋れるだけでは何の役にも立たないということに気づいた。

 

勉強していくにつれ、中華文化に興味をもった。中華文化はあらゆる点で日本の先生のような存在だと思った。日本の大学を卒業後は台湾に渡り、語学学校に短期入学した。国内での就活はしなかった。台湾で語学の勉強しながら就活をして、企業にも採用してもらった。まずは台湾で、会社勤めをしながら生活していこうと決めていた。

 

“日本人として何ができるのか”、“日本のため、アジアのためになるようなことを発信をしていきたい” AFAA JAPAN, JWIの代表となってからも、私の思いは1ミリも変わっていない。