コラム

2017.7.18 火曜日

Dr.カイボーの眼
第2回 「死ぬ」ということ

フィットネスをする理由は何でしょう? それは、心身ともに活き活きと自分らしく生きるためだと私は思います。そこで、「自分らしく生きる」ということについて考えてみましょう。ここでは、「(心が)自分らしく」と「(体が)生きる」とに分けて考えてみます。

まずは「生きる」ということから。「生きる」ということを見るならば「死ぬ」ということも見なければなりません。私は職業柄、幾度となく人の死を看てきました。典型的な人の亡くなり方を述べてみます。

意識レベルが下がり、そのうちに血圧が下がり、下顎呼吸となります。この下顎呼吸は死戦期呼吸とも呼びます。死と戦う期間の呼吸と書きますが、この時に意識はありません。そして、「死」と戦うのではなくて「生」と戦っているのだと私は理解しています。この世での役割を終えた魂が体から抜けるために。

同時に、あるいは間もなく、心拍数が減っていきます。ひと時続いた下顎呼吸の最後にひとつ、あるいはふたつ、大きく空気を飲み込むような動作があり、呼吸が停止。息を引き取るという表現そのものです。その後、心拍も停止。でも、心肺停止したら終わりではありません。一瞬の間があって、両肩をギューッとすくめるような筋収縮・緊張が起こり、その後にスーッと脱力します。これが屍の姿です。

ヨガではシャバーサナ(屍のポーズ)をレッスンの最後にします。ただ横たわっているだけのポーズですが、究極のポーズとも言われます。そうだろうと思います。心も体も全脱力してすべてから解放されている屍はまさに究極です。

生きている限り、完璧な屍のポーズには誰も到達できないでしょう。でも、不可能だからやっても無意味というわけではありません。出来ないと分かっていても、可能な限り生涯にわたり、そこに近づくことを目指すのはすばらしいことです。そして最後はみなさん、ちゃんとできますから大丈夫です。

「死」は、誰しもが必ず経験することです。そしてそのことを、レッスンを通して、あるいは後に述べますが呼吸を通して感じることで、自分が生きていることを感じます。「死」を感じながら生きてこそ、「生」に感謝して自分らしく生きることができるのです。

次回からは、「生きる」ということについて、医学的な解説も交えて述べていきます。