コラム

2017.7.7 金曜日

スペシャル座談会 インストラクター&トレーナーストーリー
第2シリーズ総集編


◇歩いてきた道
◇将来への迷い
◇収入か、仕事か?
◇アメリカのフィットネス、日本のフィットネス
◇仕事の落とし穴
◇小さな成功体験を積み重ねる
◇キーワードは「クライアント」「笑顔」「喜び」

※長文になりますので、ブックマークをおすすめします。

 

JWIスペシャル座談会 第2シリーズ参加者プロフィール

 

 

 

 

 

 

 

古川真理(ふるかわ まり)

ZUMBA®教育スペシャリスト、AFAAフルコンサルタント。日本全国でインストラクタートレーニングコースやセッションを担当。インストラクターの育成および教育、海外プレゼンターの通訳等の活動を行っている。

 

 

 

 

 

 

 

高橋美紀(たかはし みき)

AFAAマスター検定スペシャリスト、La Luz CLUB HOUSE代表、心とカラダのコンディションプランナー。1人1人の夢と目的を明確にし、自分自身にフィットしたライフスタイルを見つけるため、メンタルケアーを含めて指導している。

 

 

 

 

 

 

 

山田晃広(やまだ みつひろ)

JWI認定パーソナルスポーツトレーナーマスター、AFAA-PC(全米Aerobics&Fitness協会認定PrimaryFitness指導者)、JFA仲介人、鍼灸・マッサージ師。アスリートのパーソナルトレーナーの経験から、後進の育成に尽力している。

 

◇歩いてきた道

中村 まず、皆さんが現在に至るまで、どのような道を歩んでこられたのか、お聞きしたいと思います。古川さんは、ズンバのインストラクターとして自立されるまで、さまざまなご経験をされたようですね。

古川 はい。大学を卒業後、ある企業の海外事業部にシステムエンジニアとして就職しました。毎日ビルの中でコンピュータに囲まれて、男性にまじって夜遅くまで残業があり海外出張もあり、仕事漬けでした。ストレスばかりが溜まって自律神経がおかしくなっているのに気づいて、このままいったら自分は壊れるな、別の世界に行こうと思って会社を辞めました。

その後、着物の着付け教室やステンドグラス工房で仕事をしていたのですが、交通事故に遭って病院に行ったところ、骨の形状が通常とは違うのが分かって、リハビリも兼ねてトレーニングを始めたのがフィットネスとの出合いです。

フィットネスを始めたら、もう楽しくて楽しくて。クラブでご一緒した方々は高齢の方が多くて、「あなたを見ながら動いているからね」と言われたことがあって、この人たちに怪我をさせてはいけない、知識をもたなければと思って、エアロビクス養成コースに入りました。

中村 山田さんは?

山田 大きな治療院に就職して7年間、会社員をしていました。会社を辞めたのは、雇われているのが嫌だからということではなくて、小僧からの修行を続けながら周囲の人たちを見て、プロフェッショナルなスポーツトレーナーになるためには登り方を別にしないと厳しい、別の登り方でないと勝てないし埋もれてしまうと思ったのがきっかけです。たまたま自分がサッカーをやっていて、幅広いスポーツトレーナーになろうとは思っていなかったので、フットボールトレーナー一本で行こうと決心しました。

それからスペインに渡って5年間過ごしました。大学に通って学費を払って、なおかつ結婚していて奥さんも収入がなく、貯金を崩しながらの生活でした。日本人相手のケア治療や日本のスポーツ新聞社の通信員などのアルバイトから始めて半年ぐらいしてから、サッカーチームにトレーナーとして所属しました。その後プロの契約があって、そのあとはフットボールトレーナー一本できています。

中村 高橋さんは、ずっとフィットネスの業界で仕事をされてきたのですね。

高橋 中学生の頃からサーフィンに熱中していて、トレーニングのためにエアロビクスを始めたのがフィットネスとの出合いです。その後、フィットネス&エアロビクスダンスエクササイズを学び始めた時に、パーソナルトレーナーを知り、めざそうと思いました。

その頃、私はインストラクターの養成コースに通うために先輩のアパレル会社に1年間だけ就職したことがありますが、あとはサークルやプライベートスタジオを運営したり、スポーツクラブのアドバイザーをしたりして、組織にいながら組織にいないという感じでずっとやってきました。

中村 高橋さんが現在、運営されているプライベートスタジオは、シェアハウスのように、インストラクターやトレーナーに活用してもらう共同使用のスタジオですね。

高橋 はい。フリーのインストラクターやトレーナーが自分のクライアントを連れて、うちのクラブの施設を使ってくださっています。最初はアドバイザーをしている会社で仕事をしていただいたり、うちのクラブのお客さまからクライアントを見つけていただいたりする形式をとっていました。けれどもなかなか定着しなくて、それぞれのトレーナーが自分の施設をもつといってもお金のかかることですし、自分のスタジオを貸すという形にした方がお客様の継続率も高まると感じましたので。

中村 そうすると、高橋さんのスタジオに来るトレーナーの人たちは、自立していなければならないですね。

高橋 来て下さる方に自立を促すのも自分の仕事だと思っています。

 

◇将来への迷い

中村 インストラクターやトレーナーの自立、とくに経済的な面での自立はこの座談会の大きなテーマです。前回は秋野典子さんが、大学生でズンバインストラクターの資格を取って活躍している男子学生の話をされていました。就職活動をして企業の内定をとって、親からは就職を勧められているけれども、このままズンバを続けていきたい、でも将来結婚して家庭をもってズンバインストラクターでやっていけるだろうか、普通の企業に就職すべきか迷っているという話だったのですが、みなさんはどう思いますか?

高橋 私の所でも、男性スタッフが「フリーのトレーナーに限界を感じている、やはり男なので一度就職しようと思います」と言ってきたことがあります。私としてはトレーナーの仕事を続けて欲しくて、「ここの仕事は好きなようにできるよ、でも就職したいならチャレンジしてみたら」と言いました。

インストラクターで行くか企業に就職するか、私はどちらの生き方でもいいと思います。ただ、どちらが自分に合っているかですよね。会社に就職して定時で働いて、頑張って結果を出して昇進していくことを生き甲斐に感じるのが苦でなければ、それで幸せだと思います。

私たちは自由で好きなことができるし、好きに働ける。でも、自分で自分に課題を与えることができないと成長しないですよね。そういうのが苦手な人がズンバのインストラクターになってしまうのは不幸だと思います。どちらが自分に合っているのかよく考えて、自分で答えを出すしかないのかな。

古川 私はインストラクターになる前に、普通に会社に勤めていて、会社の中での上下関係や限られた時間で仕事のノルマをこなさなければいけないことを経験しました。自分で仕切っていかなければならない場面もあれば、組織の中の一員としてやらなければならない場面もある、両方が分かっている方がいいのかな。一度社会を経験して、人とのつながり方や周りの人たちとのコミュニケーションの取り方、自分の立場が分かった状態でズンバに入った方がいいかなと思います。

ズンバのインストラクターって、いきなり人の前に出てわーっとやり始めたら周りも動く、人気が出て先生、先生って言われるケースがなくはないんです。若い頃からこの世界に飛び込んで人気が出ても、社会人としての常識が欠けているインストラクターが多いと感じているので、迷っているのなら一度就職を経験されるのはありだと思います。

山田 僕はズンバの方を勧めますね。僕自身、会社組織の中の一人でいたこともありましたが、専門職を伸ばそうと思って会社を飛び出して、好きなことを突き詰めてきた結果が今なんです。もちろん安定した給料もなくなるし、場合によっては収入のステージも下がるけれども、ズンバという魂を揺さぶられるいいものに出合って、秋野さんに認めてもらえたというのはすごくいいチャンスだと思うんですよ。やはりズンバやっていればよかったと後悔するよりは、逆に突き詰めていくのもいいんじゃないかなと。

 

◇収入か、仕事か?

中村 どんなに好きな仕事でも収入が安定しなければ生活できない。難しいところだと思います。ずばり、お聞きしますが、皆さんにとって仕事と収入、どちらが重要ですか。

高橋 経済的には、実は一昨年ぐらいまでが一番きつい時期でした。子どもが3人いて、高校や専門学校に進学して、自分でもスタジオを運営していかなければならなかったので。さすがに1か月の仕事を整理して、最低限、必要な生活費や教育費が確保できるように働きつつ、あとは自分の休みがなくなってもいいから、空いた時間に講師などの仕事を選択してきました。

今は上の子が卒業しましたし、時間もできるようになったので、これからは、“お金と休み時間のバランスがとれて幸せ”という道に行こうと思っています。

中村 古川さんも山田さんも、給料が入る会社を辞めてインストラクターやトレーナーの道を選ばれたわけですが。

山田 鍼灸マッサージ師の資格をもっていて、一般の人の体のメンテナンスで収入を得ることができたので、生きていけないぐらい困ることはありませんでした。サッカーチームとプロ契約ができたのは、会社を辞めてからずい分後になりました。

古川 私はシステムエンジニアをしていたときの貯金があったので、その後の着付けやステンドグラスもお金を稼ぐためということはなかったですね。どちらもアルバイト代程度で、好きで始めて頼まれたらやらせていただくというスタンスでした。

いまだに収入のことはあまり意識していないです。このくらい出すからやってと言われる仕事はあまり好きではないんですね。よく仕事をいただく時に、いくらぐらいならやっていただけますか、1時間どのくらいですかと聞かれるんですけれど、妥当な額がよくわからなくて、そちらが思った金額でと言っています(笑)。

高橋 私も頼まれて仕事をする場合、おいくらですかって聞いたことはないです。仕事の内容を聞いてやりたいかやりたくないか、時間が合うか合わないかで決めています。

中村 報酬が高い方がいいって思いませんか?

古川 それなりに評価していただいたという意味では嬉しいですけれど。フィットネスインストラクターは沢山いて、個々の指導技術のレベルの差もあるので、同じプログラムを1時間するのでも個々人によって評価も対価も違うと思うんですね。それは支払う側が判断することで、私はこのレベルだからこれだけ下さいと自分から言うのも違うかなと。

高橋 今、JWIのプログラムを幾つか担当していますが、報酬の最低ラインを決めましょうという流れも最近出ているんですよ。値崩れさせないという意味ではいいことかなと思います。ただ、私自身は、仕事を頼まれた時に、値段というよりはそこで自分を待っている人がいるなら行くしかないみたいな感じです。

時間に都合がつく限りは行かせていただいて、行くからにはベストで臨みたいので、人数に合わせて自腹を切ってスタッフを連れて行く時もありますし。たまに破格な金額をいただけたりする時もあれば、赤字だけれどもいい出会いがある時もある。人に教えるということはギブアンドテイクだと思うんですよ。自分も経験を積ませていただくので、お金に関しては深く考えていません。考えると疲れますから(笑)。

古川 考えない方が気持ちよくいけますよね。

中村 標準的な報酬体系があるより、成り行きで阿吽(あうん)の呼吸でこだわらない方が気持ちがいいと。奥村さん、お二人の話を聞いていかがですか?

奥村 私は幸いにも国内外含めてフィットネス業界で成功されている方々とお話しさせていただく機会が少なからずありますが、そのような方々は皆、古川さん、高橋さんと同じような考えをおもちのようです。

やはりインストラクターという仕事を始めるきっかけ、初心が「出世したい、金持ちになりたい」といったものではないからだと思います。「お金は結果だ」というようなことを皆さん口をそろえて言っています。ZUMBAの創始者であるベトさんも全く同じ考えです。今はランボルギーニに乗っていますが(笑)

中村 山田さんはいかがですか?

山田 僕は、価格設定はあった方がいいと思っています。一回、一週間、二日間だったらいくらと自分で自分の価格を設定しています。そうしないと、僕より下や次の世代の人たちが困っちゃうような気がして。理想はS級スタッフ、A級スタッフとランクを付けて、S級の人は人生経験が豊富で、体の使い方だけではなくてクライアント自身を元気にさせるぐらい、会社のスタッフを変えることができるほどのパワーをもっている。そういうS級やA級では価格はこのくらい、20代や30代でそこまで辿り着くのに経験は少ないけれどもこのぐらいと、4段階ぐらいに設定すれば、選ぶ側としては選びやすいですよね。

中村 若い人たちにとってみると、若いうちは収入にもあまり差がないけれど、会社に入れば決まった年収や月給があって、30代や40代になったら歴然と差が出てくることがわかる。例えばズンバでは、今はこれだけもらっているけれども、先がわからないじゃないですか。展望が開けないと安心してフィットネス業界に就職しようとは思いませんよね。インストラクターやトレーナーが安定感のある職として認知されにくいという現状があるような気がします。

高橋 21歳の時からずっとこの仕事を続けてきて、常にこの仕事をいつまでできるかが頭の隅にあって、ずっと問いかけているんですね。10年後にどうしよう、どうしたいって考えながら進めてきたわけですけれど。

最近、自分自身がフィットネス界だけで生きてきて完結する一つのケーススタディになるかなって思うんですよ。このタイミングで家が買えたとか車が買えたとか、自分がどう終わるかでワンクールが見えてくる。教えてきた生徒たちが安心して仕事を続けられるようにするのも、自分のこの先の進む道かなと考えています。

中村 なるほど、いつ結婚していつ子どもを生んで、子どもが小学校中学校、高校大学、就職というのがよくある人生設計だけれども、実はその過程で家を買ったり車を買ったり、子育てをしたりする時にミニマムなお金の必要性って出てきますよね。もちろん、誰しも結婚しなければいけない、子どもを生まなければいけないということではなくて、自分の人生をどう切り開いていくか、そういうビジョンをJWIとしても示すことができればいいですね。

奥村 皆さんがおっしゃる通り、若い人たちは現在活躍している人を目標にして、「あの人のようになりたい」という気持ちで将来を選択していくと思います。フィットネスインストラクターの人生が少しでも多くの人々の目に触れることのできるような環境やプラットフォームをJWIとして確立していきたいと強く思っております。

 

◇アメリカのフィットネス、日本のフィットネス

中村 古川さんはワシントンDC、高橋さんはカリフォルニア、山田さんはスペインと、皆さんそれぞれに海外でのご経験がありますが、そのあたりのお話を聞かせて下さい。

古川 アメリカには3年間、滞在していました。主人の仕事の都合でDCにステイをしながら、スペシャルプログラムがある時には週末のたびに東海岸、NY、西海岸とあちこちの州に行ってトレーニングコースを受けたり、DCでフィットネスクラブのメンバーになったりしました。

前の年にZES(ズンバ教育スペシャリスト)のタイトルを取得していて、報酬はなくてもいいので勉強させてくださいとお願いをして手伝わせていただきました。言葉の壁があってワークショップを一人で担当することはできないけれど、「じゃあこのパートだけやってみて」とか、「前で踊ってみて」という感じで。現場でのワークショップのやり方や人とのコミュニケーションの取り方、フロアの盛り上げ方など、日本とは違うフィットネスを勉強できたと思っています。

中村 そのようにして触れたアメリカのフィットネス、いかがでしたか?

古川 衝撃的でした。フィットネス自体が日本とは全然違うと。日本でフィットネスというと、見た目も体の使い方もダンスも含めて、“この先生のようになりたい”って思うインストラクターのところに人が集まりますよね。アメリカの場合は、見た目、え?っていうインストラクターに人がたくさん集まるんです。私が教えてもらったのは、私の3倍ぐらいある体格の方でした(笑)。

この先生のどこがいいのか不思議で仕方がなくて、メンバーさんに聞いたんですよ。そうしたら、「あの人ができるんだったら私たちにもできるでしょ」。「でも、向こうのクラスの先生は、シェイプされていてかっこいいじゃない」と聞くと、「あの先生は自分ができるのを見せたいだけ、勝手に踊っているだけよ」って。

参加している人たちが、あの人にできるなら私にもできると思い、私にも先生のようにできてよかった、とは思わない。綺麗な形、格好いい形、きれいな体を見せたところで、「私たちとは違うわね」って言われておしまいなんですね。みんな出ていって戻ってこなかったりする、それが衝撃的でした。

レッスンが終わった時に、そのインストラクターの所に行って触らせてもらって、さっきの動きをやって下さいとお願いしてみたんです。すごくインナーマッスルが動いていて、体はちゃんと使えているんですよ。びっくりしました。

中村 高橋さんは?

高橋 カリフォルニアでは3年ぐらい、サンタモニカの小さなスタジオから大きなところまで、あちこちのフィットネスクラブの会員になり、レッスンを受ける立場でインストラクターの姿を見ながら、教わっている人たちの考え方にも触れました。

日本ではあり得ない場面ばかりなんですね。例えば、日本ではレッスンの途中でスタジオを出るのは失礼なことですが、有酸素運動が終わってフロアエクササイズが始まる前に、いきなりスタジオを出てどこかに行っちゃう人たちがいるんです。それで、クールダウンの時に戻ってくる。もちろん先生と打ち合わせをしていましたけれど。

その人にとっては、フロアエクササイズは必要ない、有酸素運動だけやればいいという考え方なんですね。これがフィットネスなんだなと思いました。一人ひとりが自分のフィットネスをもっているんです。

中村 お客さんも自立しているんですね。

高橋 ローインパクトクラスのレッスン中に、インストラクターが軽くホップが入るミドルの動きを入れたんですよ。そうしたら、参加者の一人が「それはローインパクトじゃない、違う」って言い出して、インストラクターがこれはこうだから必要なのよと言い合いが始まったんです。しかも、二人で言い合いしていても音楽は流れていて、他の人たちは動いているんですよ。

日本でそういう場面になったら、みんな動きを止めますよね。インストラクターに「もうちょっと強くやって」と言われると「はい、わかりました」ってなるじゃないですか。でも、他の人たちはみんな、今は私の時間、これは私の有酸素運動みたいな感じで誰も止まらないし、インストラクターも頑として私はこう考えていると言い返す、これはショックでしたね。それだけ参加者もインストラクターも自分自身の考えをもってその場にいる。フィットネスのレベルの高さを感じました。

古川 フィットネスが生活の一部で、特別な何かじゃないんですよね。メンバーさんもインストラクターも、終わったらそのままの格好でスーパーに寄って買い物をして帰る。日本では終わった後にシャワーを浴びて、メークもし直して帰るじゃないですか。海外の方にはフィットネスクラブに何をしに来ているんだろうと不思議に思われているかも知れません。

高橋 そうそう、日本みたいにシャワーを浴びて着替えて化粧をして、なんてない世界ですよ。アメリカのインストラクターは、穴の空いているタイツを履いて髪の毛もぼさぼさだったりしても、全然気にしないんです。

日本では、インストラクターのイメージも時代によって変化していて、最初の頃は綺麗な人がメインで、だんだん需要が高まってくると体育会系の元気な女の子になり、その後、会員が高齢化してシニアの方々が増えると、対応可能なインストラクターへのニーズが高まってきました。でも、時代が変わっても常に繋がっているのは、見た目がよくてスタイルが整っていて、着ているものが綺麗なインストラクターですよね。日本には日本のスタイルがあって、よくもあり悪くもあり、二面あると思いますけれど。

中村 山田さんは海外経験から思うこと、海外に行ってここは違うなと感じたことは?

山田 僕はスペインですけれど、ちゃんと主張するのは一緒です。日本ではインストラクターやトレーナーの考えには絶対に従う。でも、スペインでは、チームの指導者や監督が偉いわけじゃなくて、意見があったらしっかり言うんですね。

高校生のチームの練習を三日間見学していたことがあって、監督が「俺の言うことが聞けないんだったら帰れ」って言うシーンがありました。普通だったら監督に叱られて、「すみません」ってしょぼくれますよね。ところが、言われた高校生は帰っちゃったんですよ。日本だったらその瞬間から溝ができますよね。この子は二度と戻らないかもしれないし、監督の指導に従わなかったからとペナルティーもありますよね。でも、翌日は普通にその高校生と監督が笑顔で話しているんですよ。この修復力って何だろうなと思いました。

高校生の彼にとっては監督の言うことが全てではなくて、自分の意見があって監督と対立してぶつかって、その日は帰った。監督も、ああ選手はこうやりたかったのか、伝え方も悪かったと思ったのかも知れません。和解をして、ペナルティーもないし、他の選手たちも見ていて「あいつすごいことやったな」と思うこともない。高橋さんや古川さんの話を聞いていて、よく似ているなと思いました。子どもでも、自分の思いがあってそのスポーツに向き合っている、指導者も自分の信念があって、選手とぶつかっても、日本だったら修復不可能なことを翌日修復するってすごいなと。

たぶん、意見が違う時には言ってもいい雰囲気があって、指導者も意見を受け容れて、言いづらい雰囲気は作らないんでしょうね。日本でも意見があったら言ってみろと言う指導者は沢山いますけれど、言いづらい雰囲気ってあるじゃないですか。言いやすい雰囲気、発言するチャンスをちゃんと与えているのはすごいなと思いました。

 

◇仕事の落とし穴

中村 皆さんのように長く仕事を続けていると、楽しさを感じ、成功体験も重ねることができると思いますが、インストラクターやトレーナーを始めたばかりの頃には、くじけたりつまずいたりして、仕事から脱落するように仕向ける落とし穴が沢山あると思います。どんなところにつまずきの原因があると思いますか?

高橋 体力の限界を感じたり金銭的な問題があったり、先行きへの不安に耐えられなくなったり、たくさんありますよね。家族や両親など周りの理解や協力が得られない場合もあります。この仕事って、周囲には理解されにくいところがありますからね。

私の場合、エアロビクスインストラクターとしてスタートしたのですが、当時、インストラクターの養成コースは日本では3か所ぐらいしかなくて、茅ヶ崎から原宿にある日本で一番有名なスタジオに通っていたんです。交通費を出すためにアルバイトをしながらだったのですが、養成コースに入る試験に落ちてしまって、家族会議で「もう一回受ける」と言った時に、ちゃぶ台がひっくり返りました(笑)。

父や母はどちらかというと放任主義でOKしていてくれたのですが、おじいちゃんが怒り、お婆ちゃんが「そんな仕事できるわけない」って大反対、大騒ぎになりました。結局、父が「いいんじゃないか」と言ってくれたので収まりましたが、私はそんなに無謀なことをしようとしているのかなとつくづく思いました。

古川 家族の理解は大きいですよね。サポートしてくれないとしても、自分がやっている仕事を理解してもらえるかどうかはすごく大きいと思います。フィットネスの世界って、仕事の時間も人によって違うとかクライアントによって違うとか、きっちりしたルーティンがあるわけではないので、普通に社会人をやっている人からは不安定に見えるのでしょう。理解してもらえなかったら厳しいかもしれないですね。

中村 仕事をすることの喜びが家族やパートナーに理解されにくいということですね。古川さんの場合、会社を辞めてフィットネスの業界に入って、そこから先、ご家族の反応はどうでしたか?

古川 システムエンジニアだった頃があまりに酷かったので、好きなことが見つかってよかったねと言われました。好きにやったらと。いろいろなことにチャレンジできて、いろいろな所に行かせてもらって、自分たちとは違う世界にいると感じているみたいですよ。

中村 高橋さん、その後は順調に?

高橋 いえいえ。仕事をしながら養成コースを受けさせてもらえる会社にいた時に、当時テレビでやっていた「11PM」に、レオタードに肌色のタイツ姿で出てくれれば、月給30万出すと言われたことがあります(笑)。他にもフィットネスを広めるために、レオタード姿でパレードの車に乗って手を振るお仕事もありました。エアロビクスインストラクターとして自分がやろうと思っていることと、社会的に期待されていることとのギャップを感じた時が一時期ありましたね。

その後、茅ヶ崎に戻ってきてスポーツクラブで働き始めた時に、今度は、「あなたは東京で勉強したんだから」みたいな意地悪があって。なんだこの世界は!と思って、そのクラブも辞めて違う世界を求めてカリフォルニアに行ったんです。

中村 意地悪ですか……。

古川 私はメンバーさんに意地悪されて、家に帰る元気もなく、明け方まで飲み明かしたことがあります(笑)。初めてのスポーツクラブで、インストラクターの私よりもフィットネス歴の長いメンバーさんに上から下まで文句言われて帰るみたいな。クラブによっては、メンバーさん同士で陰口を言い合って、あの先生のレッスンには出ない方がいいとか、みんなでボイコットしようとかいうところもあって、それでメンタルやられて辞めてしまう若いインストラクターも何人か見てきました。

中村 そういう時はどうやってクリアするんですか?

古川 私は、やられたら見返してやるぞって気持ちでいました。「私のやり方はこう、何も間違っていない」ってメンバーさんたちの目の前で言ったことがあります。そうしたら、この先生は違うって思われたのでしょうか、メンバーさんがすっと引きました。自分がしっかりしていないとダメですね。

高橋 アドバイザーで入ったクラブで、新人のインストラクターが入ると、その子たちが突かれることが多いので、それをカバーするのも私の仕事です。そういう時には、文句を言われたら、まず「アドバイスありがとうございます」という受け取り方をして、その後で、きちんと、私はこういう考えでこうしましたということを、専門用語をちょっとだけ入れながら話すといいよって言うんです。知識があるところをちょっと匂わせながら話しなさい、使いすぎると今度は訳が分からないって言われるから、小出しにしながら納得してもらって認めてもらうようにと。

中村 山田さんは?

山田 アスリートがケガをした時、「山田に任せたのに、なんでケガするんだよ」とクレームが来る局面に出くわす時があって、何でも山田のせいにされてメンタルが落ち込むこともありました。ケガにはいろいろな要因があって、ハートが弱いアスリートもいるし、指示通りに準備してこないアスリートもいて、たとえば前の晩に深酒したとか、夕飯のメニューを提示したのに実行していない、何度も遅刻する。そういう状態でこちらがセッティングしたことをやったらケガをした、ということもあるんです。でも「選手のせいにするな」と言われないように、事前にアスリートのキャラクターを把握して、プレゼンテーションをしっかりするなどのリスク管理をするようにしています。

中村 自分で学ぶという努力も必要だし、学んでいることに対して自信をもちましょう、雇われ先の歯車として仕事をするのではなくて、その場を任された自分の責任を自覚して臨みましょう、ということですね。

◇小さな成功体験を積み重ねる

中村 今までの仕事のなかで、印象深い出来事や嬉しかったこと、仕事を続けてきてよかったなと思うことも多々あったと思いますが、いかがでしょうか。

山田 二つあって、一つは、パーソナルトレーナーをしてきたアスリートが国際大会で優勝して、メダルをかけてもらって「ありがとう」と言われたことです。アスリートと夢を一緒に追いかけることができて、それが形になった瞬間、この仕事をやっていてよかったなと感無量でした。

もう一つは、最近ひしひしと感じることですが、今までは目の前のミッションを遂行することに一生懸命だったけれど、トレーナーとして関わったアスリートが喜ぶと、そのアスリートの後ろにいる人たち、たとえばご家族やこのアスリートを支えている人たちも喜ぶ、今まで見えなかった人たちの笑顔に気づいたことです。テレビで試合の様子を見ていると、応援席にいる人たちも僕も一緒になって応援し、勝てば一緒に喜ぶ。その声がたくさん聞こえてくるのってすごいことだなと。

古川 「ズンバに出会ってから人生が変わりました」「この日この時間に、ここにこれてよかった」と言われた時です。ズンバの場合、プログラムによっては体だけでなくメンタル面もケアすることがあります。ある時、レッスンを受けて下さった方が最後までスタジオに残っていて、どうしても挨拶がしたいとおっしゃったことがありました。

一週間前にご主人を亡くされて、一歩も家の外に出られなかったそうなんです。「体を動かそうという気持ちも沸かなかったのに、プログラムを見て出かけてみようという気になりました、体を動かしてみて本当によかった」。偶然ですがレッスンでご主人が好きだった曲を使っていて、「音楽を聞いていたらいい思い出が蘇ってきました、ここからまた一歩を踏み出せます」と。その方の人生に関わらせていただいて、新しい一歩につながるきっかけを渡すことができたのかなと、とても嬉しかったです。

それから、2年前に膝の靭帯を断裂して1年間ブランクがありまして、その間に一歩引いて周囲を見ることができました。それまで一人で頑張っていて自分は孤立しているとまで思っていたのが、ああ、私は周りの人たちに支えられてやっているんだな、いつも力になってくれている人たちがいるんだなと気づくことができました。動けない人の気持ちも、サポートする側の人の気持ちも分かりました。

高橋 仕事を始めて10年ぐらいした時に、1年間のレッスンが終わった後、おばあちゃんが泣きながら話をして下さったことがあります。膝を悪くして、大好きだった山登りをお医者様から止められて、それでも諦めきれなくてレッスンに来ているうちに1年経って、「先日、病院に行ったら山登りしていいよと言われて、また登ってきました!」と。

ただ1年間、普段どおりに指導させていただいただけだったのに、「ありがとうございます」って言われた時に、フィットネスって人に感謝される仕事なんだな、いい仕事をしているんだなと思いました。

最近では山田さんに教えていただいたり、JWIでもいろいろなプログラムを用意していただいたりして、いろいろな人たちに関わる機会が増えました。小学生の頃から指導していた子がアスリートになって、日本代表として世界選手権に行くのに関わらせて頂きました。その子の試合をリアルタイムでネットを観ながら、応援しているたくさんの人が盛り上がりながら試合を楽しんでいることに私も裏方として関わらせて頂いて、すごい仕事ができているなと思いました。

中村 奥村さんは?

奥村 ある時、古川さんに、「奥村さんが社長になってズンバ盛り上がっているよ、前よりも進み始めている気がする」と言われた時です。僕は毎日必死で考える暇もなかったけれど、人のためにやっているんだと思えたことですね。

中村 仕事として向き合っていて実は人が見えていなかった、でも、何かきっかけがあって気づくことができた。その気づきというのは、あるレベルまで行ってようやく得られるものかもしれませんね。山田さんのお話でも、ただ選手をグラウンドに送っているだけだったら、後ろの人たちの喜びを感じることはないですよね。

山田 小さな成功体験をたくさん積み重ねていくことが大切で、例えば、山登りができなかった人をいきなり山に登らせることはできないと思うんです。1人2人に、「ありがとう」って言われる、それを成功体験としてインプットしておいて、今度は10人から言われたいっていうエネルギー変換が必要だと思います。僕もいきなり超アスリートに付いたわけではなくて、人から今日は調子がよくてよかったと言われて、もっともっと言われたいと思ったのが最初ですから。

 

◇キーワードは「クライアント」「笑顔」「喜び」

中村 今までの皆さんのお話にすでに散りばめられていると思いますが、改めて、仕事をするうえで大切にしてほしいことを一言ずつ、お願いします。

山田 クライアントに喜んでいただけるように、笑顔で「ありがとう」って言われるようにベストを尽くすことです。個人でもチームでも、最終的に笑顔で「ありがとう」と言われるために、自分はどのような準備をしたらいいのか、常に考えてほしいと思います。

古川 参加してくださる方、関わった方たち、それぞれに目的は違うけれども、それぞれの方がそれぞれの思いで、何かしらをつかんでいただけるような仕事をすることです。その方たちの人生に関わっていると感じることができる仕事をさせていただいているのですから。

高橋 100人いたら100通りの考え方があります。自分が何を望むかではなく、目の前にいるクライアントの方が何を望んでいるか、望まれていることに自分がどれだけ応えることができるか、です。

中村 クライアントが大きな存在になるということですね。最後に、皆さんに続く世代の人たち、あるいは、フィットネスの世界に入ったばかりの人たちに向けて、メッセージをお願いします。

山田 人の「幸せ」や「笑顔」、「喜び」が、われわれに求められているキーワードだと思います。そのためには、自分自身がエネルギーをもっていなければなりません。人に自分のエネルギーや魂をぶつけていくって、嘘っぽくやっても伝わらないですよね。話が上手とか手先が器用ということでもないし、テンション高くして大きな声を出せば伝わるわけでもない。

しんどいなって思う時ももちろんあるけれども、無理をして笑顔にさせるのではなくて、自分はこうしたい、こうなりたいという、ハートに刺さるような自分の思いや真心をそのまま伝えれば、その人にパワーとして伝わると思います。人は人でしか動かない。自分の思いをエネルギーとして高めて、しっかり伝えるような仕事の仕方をしてほしいですね。

古川 情熱をもって自分の気持ちをぶつけるのがいちばん大事だと思います。その前提として、自分に自信をもちましょう。チャンスがあったら、そのチャンスが逃げて行く前に試してみる、ダメだったらそれが反省につながるし、新しい道にもつながる。何もやらなかったら何も始まらない。目の前のチャンスに向かって挑戦してほしいです。フィットネスを通じて、人と人とのつながりや気持ちが通いあう瞬間をきっと感じることができるはずです。

高橋 私たちは、目の前にいる人の体が変わる、人生が変わる仕事をしているんだと思ってください。今日は笑えて楽しかったね、汗流してよかったねと思っていても、一歩間違えるとケガをして、そのケガから先々古い傷が痛むような傷になるかもしれない。その人の体に関わるということは、その人の一生涯に関わるということです。情熱をもってチャレンジをしながらも、責任をもってほしいと思います。

中村 これからも多くの人に影響を与え、多くの人を幸せにするような活動を続けてください。ありがとうございました。奥村さん、最後に一言お願いします。

奥村 この座談会は、皆さんやフィットネスが好きで集まって下さっているメンバー様のために何かできないものかと考えて始めました。みなさんのような方々のストーリーを紡いでいくことで、少しでもインストラクター&トレーナーさんたちの活躍や自立に社として寄与したいと思っています。僕自身、毎回楽しみにしています。皆様のお話を聞いてこちらもより責任を感じ、気が引き締まる思いでいます。ご協力いただいてありがとうございました。読者の皆さま、次回からは少し形を変えた新企画が始まります。どうぞお楽しみに。

(了)