コラム

2018.8.10 金曜日

New ZES 阿部和矢さんに聞く

 

 

 

 

 

 

 

阿部和矢(あべ かずや)

三重県出身・在住。2012年、B1を取得後勤務先のスポーツクラブでZUMBA®、ZUMBA® Gold、ZUMBA® Aquaレッスンを受け持つ。後、フリーインストラクターとして関西を中心に活動する。2018年6月、ZESオーディションに合格。

 

 

 

 

 

 

 

 

中村 ZES の発表があったのは6月3日のSoul Fes神奈川会場ですね。現在の心境を改めてお聞かせください。

 

阿部 発表の直後はなかなか実感がわきませんでした。でも、JWIから今後について連絡を頂くようになり、7月26日から開催されたZIN CONVENTION ORLAND 2018ではJapan ZES の一員として2曲リードをとりました。CONVENTIONには昨年初めて参加して、その時は自分の好きなレッスンを受けに行く側だったのが、今度は前に立ってリードする側となり、“ああ、本当にZESに選ばれたのだな”と実感しています。

 

中村 阿部さんはどのようにしてZUMBA®に出会ったのですか?

 

阿部 大学を卒業後しばらくサラリーマンやフリーターをしていたのですが、家庭の事情があって実家に帰ることになり、そろそろきちんと再就職しなければと思っていた時にたまたまスポーツクラブの求人広告を見て、就職しました。小学校でスイミング、中学ではバレーボールをしていて、ジム通いもずっとしていたので自分に合っているかなと思いまして。

スポーツクラブにはスイミングのスタッフとして就職して、他に小さなクラスでのダンベル体操やストレッチを受け持つぐらいで、もともとダンスには縁がなかったんです。ZUMBA®に出会ったのは2012年、地元の三重でレッスンを受けたのが最初です。その時にはただただ楽しくて、まさか自分で教えるようになるとは思っていませんでした。

働いていたクラブに来ていたフリーの先生からB1の案内を頂いて参加して、「なんじゃこれ! 自分にはこれしかない!!」と一気にZUMBA®にハマりました。音楽がいいし、生まれて初めてライセンス授与の証書をいただいて嬉しかったんですね。B1ではクラスの進め方やキューイングの仕方がとても勉強になって、“そうか、こうやったらZUMBA®を教えられるのか”と分かってきました。

 

中村 B1を受講してすぐにインストラクターとしての仕事を始めたのですか?

 

阿部 いえ、その後は毎日のようにDVDやCDを見ながらひたすら練習していました。仕事先のスポーツクラブでZUMBA®が導入されたのはB1から3か月ほど経った頃です。当時は小さなクラブでスタジオもなく、わずかな体操スペースを使って始めました。

B1の後、ZUMBA® Gold、ZUMBA® Aquaを立て続けに取って、僕のレッスンを目当てに来て下さるお客さんの数も増えていきました。その後、フリーのインストラクターとして仕事を始めたいと思うようになり、半年後にクラブを辞めたんです。

 

中村 フリーの仕事は順調にスタートしたのですか?

 

阿部 レッスンは沢山受け持つことができたけれども体調を崩すことが多く、自分で仕事をコントロールすることの難しさを感じました。最初にZUMBA®のクラスを受けに行ったスポーツクラブのチーフの方に「フリーになる気はない?」と目をかけていただいて、そのクラブの店舗のオーディションを受けさせていただきました。他にもオーディションを受けて、最初はエアロビクスとセットで三重、奈良、大阪へと活動先を広げていくことができました。

 

中村 ZESになりたいと思うようになったのはいつ頃ですか?

 

阿部 最初から教育者になりたいと思っていて、実は2014年にZJオーディションに応募していたんです。指導歴も浅かったので要件を満たさずに書類審査で落ちました。受かるはずはないと思いつつ、せめて1次ぐらいはと思っていたのでショックは大きかったです。

 

中村 2014年のZJオーディションから今回のZESオーディション応募まで3年ありますが、その間は?

 

阿部 ZUMBA®はもちろんですが、エアロビクスや他のプログラムにも挑戦していました。でも、休みも取らずに仕事、仕事で頑張りすぎて体調を崩すことも多く、体力的にも精神的にも滅入っていて、いつまで今の仕事を続けられるのか、将来に不安を感じていました。

2017年になってZIN CONVENTION ORLAND の案内を見た時、何故か急に「今年は絶対、行かなきゃ!」と思ったんですね。それまで毎年、CONVENTIONには行きたいと思いつつ諦めていたのに、何かが降りてきた感じがしました(笑)。

帰国後、「何かを始めなければ」という気持ちになり、ビジネススクールに通い始めました。そこでようやく自分の将来が見えてきた気がします。仕事をしながら休みもとって勉強する時間ももつ、そういうサイクルができて、自分自身の基盤づくりができたと思っています。

 

中村 2017年にはCalienteやAsia Conference にも参加されていますね。

 

阿部 Calienteでは東京・大阪で合計9チームを作って参加しました。Asia Conferenceではバックダンサーのオファーが来て、2017年は怒濤の1年でした。そこにZESオーディションがあると知ったので、これは受けるしかない!と思いました。

 

中村 阿部さんはどんなZESになりたいと思っていますか?

 

阿部 まずは今まで以上に、毎回レッスンに来て下さる方々の表情や思いを汲み取ることができるZESでありたいと思っています。実際のレッスンでは参加者全ての方々と会話をする機会はなかなかありませんが、面白くないような顔をしている人やしんどそうにしている人を見かけたら声かけをして、一言、一言を大切にしていく。転勤などでクラスをやめる人がいたら、その人の最後のレッスンではその人が好きそうな曲をさりげなくかける。そんな心配りを大切にしていきたいと思います。

それから、“正しいZUMBA®をしたい”と思う人を育てたいですね。イベントの申請や指導のポジション、キューイングのやり方など、ZUMBA®にはZUMBA®のルールがあります。ルールをしっかり守ってZUMBA®を楽しみたいと思う人、そんなZUMBA®を好きになってくれる人々をたくさん育てたいです。

 

中村 最後に、阿部さんにとってZUMBA®とは何ですか?

 

阿部 「人生の一部」です。ZESになる前は、やがては現場を離れて起業し、マネージャーとしてスタジオやスタッフをもちたいと思っていました。自分のスタジオをもつという夢は変わっていませんが、これからはZESとしてZUMBA®の現場でとことん頑張っていきたいと思っています。

 

奥村 栗木さんにもお願いしましたが、阿部さんにも地元の三重エリアでまた全国各地でB1を開催するなど、ZUMBA®を広めていっていただきたいと思います。また、JWIではスタジオ開設などインストラクターの自立を支援するためのプログラムも用意していますので、ぜひ活用していって欲しいとも思いました。ありがとうございました。

 

中村 ありがとうございました。