コラム
2018.7.19 木曜日New ZES栗木幸子さんに聞く
栗木幸子(くりき さちこ)
鳥取県出身・在住。2008年にZUMBA®に出会い、翌09年にB1を取得。2013年よりZUMBA® Jammer(ZJ)として数多くのセッションを担当する。2018年、ZESに抜擢される。
聞き手
中村好男(なかむら よしお)
JWIアドバイザー。早稲田大学スポーツ科学学術院教授、専門は健康スポーツ科学。
奥村辰平(おくむら しんぺい)
株式会社JAPAN WELLNESS INNOVATION 代表取締役社長
奥村 ZUMBA®JAPANでは6月に新しいZES/ZJが発表され、栗木幸子さんと阿部和矢さんがZES、ジョセフ鮎さんと比嘉邦彦さんがZJとなりました。それぞれの方のお話をうかがっていきたいと思いますが、まずは日本で初めてZJからZESに転身された栗木さんにご登場いただきました。
中村 6月3日Soul Fes神奈川会場での発表から3週間経ちました。現在の心境を改めてお聞かせください。
栗木 私の場合はオーデォションを受けていなかったので、発表されるまでは皆さんがどういう反応をされるのかドキドキしていました。1月にオーディションの募集が始まった時から「オーディション受けるよね」「ZESになるんでしょう?」と周りから言われていて、「私はZJの仕事が好きですし、受けていないです」とずっと言っていたんですよ。それが、ゴールデンウィークが明けてから突然、JWIからZESオファーの電話をいただいて、「えーっ!!」って絶叫しました。
すごく嬉しかったのですが、“これからはZJの仕事ができなくなるのか“とか、“自分にZESの仕事ができるのか”と、頭の中でいろいろな思いがめぐって複雑な思いがしました。電話を頂いた次の日に帰港した主人に相談をしたんです。「会社から言ってもらえるのって、すごいことじゃない」と言ってくれて、「もっと忙しくなると思うけれど、やってもいい?」と聞いたら、「さっちゃんなら頑張れると思うよ」と。いろいろな不安があっても家族が応援してくれるからと、オファーを受けることに決めました。
発表当日は、今までにこんなに「おめでとう」って言われたことがないくらい、たくさんの人たちに「おめでとう」と声をかけていただきました。「本当に嬉しい」と自分のことのように喜んでくださる人も多くて、感激しました。
中村 ZJとZES、仕事の内容ももちろん変わってきますね。
栗木 ZJは自分が作ったコリオを提供するのですが、ZESはインストラクターにZUMBA®を指導していくうえで基本となることを教えるのが仕事で、責任も重いと思っています。ZJの仕事は近ければ日帰りでできるし泊りでも一泊だったのですが、ZESとなると、B1の2日間トレーニングコースで出張する場合、前後含めて3,4日家を空けることが多くなると思います。母として妻としてどうかなと、ずい分迷いました。
中村 ZJからZESへの転身、 JWIとしては初めてのチャレンジですね。奥村さん、どのようなお考えがあったのですか?
奥村 元々、ZESを増やしていこうという考えから今回のオーディションを設けました。ZJからZESになるというのはアメリカにはないプロセスで、日本でそのモデルケースを作りたいという思いがありました。栗木さんはZJとして仕事をしてこられて、コミュニティーを広げ周囲の方々からの信頼感を得ている方なので適任と思いました。
中村 ZJからZESへ、栗木さんがその記念すべき第一号となられたわけですね。ところで、栗木さんはどのようにしてフィットネスそしてZUMBA®を始めたのですか?
栗木 中学の時に新体操部でキャプテンをしていて、3年の時、高校に入るまでの部活引退の時期に、ブランクを埋めるために姉が通っていた個人経営のスタジオに通い始めました。そこで初めてエアロビクスに出会ったんです。
当時、ハイレグのレオタードにベルトをして髪はソバージュの大人の女性たちが踊っている姿は子どもの私にはとても刺激的で、「エアロビクスって、なんて素敵なんだ!」と憧れたのが始まりです。
高校を卒業後、スポーツの専門学校に進学してエアロビクスを専攻しました。学校がJAFAと提携していたのでJAFAのインストラクターの資格を取って、卒業後に地元に戻り、フリーのエアロビクスインストラクターとしてデビューしました。
ZUMBA®は2008年にインストラクター仲間がいち早くB1を受講してレッスンを始めていて、彼女のレッスンを受けたらすごく面白かったのと、彼女の強い薦めがあって2009年1月に私もB1を受けました。
中村 B1はどちらで受けたのですか?
栗木 島根です。近くにB1の会場がなかったので、AFAA JAPANに鳥取でB1開いて下さいとオファーしたんです(笑)。「そんなオファー受けたことがないけれども、人が集まるのならばやってみましょう」というお返事だったので、鳥取と島根のインストラクターに声をかけて、主導して下さる方のお陰でB1が実現しました。その半年後にB2もお願いして同じ会場で開いたんですよ。田舎のインストラクターの団結力、強かったんです(笑)。
中村 ずっと鳥取でZUMBA®インストラクターをされていたのですね。
栗木 はい。私の中で地元は特別で、大阪や東京と比べれば盛り上がりがまだまだですが、ZUMBA®ウェアーを着ている人が誰もいないクラスでも、すごく盛り上がっています。最初は対面で「恥ずかしくていやだわ」と言っていたお母さんたちが楽しくなって、どんどん輪が広がっていくんですね。地道に伸びていくのが田舎のいいところだと思っています。
中村 ZJとなられたのはいつでしたか? 何故オーディションを受けようと思ったのでしょうか。
栗木 2013年です。実はそれ以前、ZUMBA®インストラクターになってから3年目ぐらいに1度オーディションにも挑戦していましたが、不合格でした。1度目の時にはZJがどういう仕事なのかも分からずに、「オーディション、受けてみようか」というチャレンジ精神だけで受けたんです。落ちたのがすごく悔しくて、「次は絶対受かるぞ!」という気持ちで2度目を受けました。
中村 これからZESとしての仕事が始まるわけですね。いつ頃からスタートとなりますか?
奥村 会社が立てたトレーニングコースやOJTのスケジュールをこなしていただいて、遅くとも年明けにはスタートと考えています。もちろん、早ければ早いほどいいですね。
栗木 今はZJの仕事を継続させていただいていて、8月25日が最後のJam Sessionになります。誠意をもってZJとしての仕事をやり遂げたいと思っています。
中村 栗木さんはどんなZESになりたいとお考えですか?
栗木 ZJを経験して、その前にZINも経験しているので、それぞれの架け橋になれるようなZESになりたいと思っています。「ZUMBA®が大好き」と言ってくださる人たちを増やしていきたいですし、「ZESになりたい」と思っていただけるインストラクターを増やしたいです。「この人のトレーニングだったら何回でも受けてみたい」と思ってもらえるようなZESになりたいです。
中村 栗木さんにとってZUMBA®って何ですか?
栗木 昨年母を亡くして、笑顔で踊ることが辛くてできなかったんです。復帰後、初めての業務がカリエンテで、その時に心から感動しました。小さい子からおじいちゃんおばあちゃんまで、スキルは関係なくみんなが笑顔で、自分が知らない人達のリードでも楽しんで踊り、みんなで讃えあうZUMBA®。心から感動して、本当にこの仕事をしていてよかったと思いました。ZUMBA®、“出会ってよかったもの”ですね。
中村 これからはZINメンバーがステップアップするための模範になるような、ZUMBA®インストラクターの目標とされるZESになっていかれると思います。ZUMBA®ファンやインストラクターの皆さんに向けて、メッセージをお願いします。
栗木 残念ながら、ZINを辞めたりZUMBA®からフェードアウトしてしまったりする方々も多くいます。新しい方々が増えていって欲しいのはもちろんですが、今まで楽しくやってきた人も、これからもずっと楽しんでいただきたいと思っています。
ZUMBA®は誰でもウェルカムであたたかくて、同じ場所を共有して心を通わせつながりが深くなってくることが多いけれど、そのために人を妬んだり誹謗中傷したり、悪意をもって排除したりするようなこともあると思います。そんなことのないZUMBA®であって欲しいです。楽しさの陰で寂しさや満足できない状況も出てくるかもしれない。けれども、他の人の楽しみを奪うような形にはならないようにと願っています。
奥村 栗木さんはZESとして、鳥取・島根エリアでB1を開催するなどZUMBA®を広めるという仕事もありますね。そのためにもぜひ、頑張ってください。
中村 ありがとうございました。
(インタビュー:2018年6月22日)