コラム

2018.6.7 木曜日

Wedding Message 3rd

長年、父の教えで朝食は食べないのが僕の習慣だった。ところが、結婚してからは毎朝食卓に並ぶ朝食が楽しいと思うようになった。周りの人間にも朝食は食べない方が正しいと、あれほど力説していたのに。夜も帰ったらご飯が用意されている。幸せなことだと思う。当たり前のことかもしれない。でも、その当たり前のはずのことが大事。幸せって、日常の何気ない繰り返しの中にあると気づいた。

 

さて今回は、披露宴当日、JWIアドバイザーとしてお世話になっている中村好男先生からいただいたスピーチをもって僕からのWedding Message としたい。

 

「中村です。縁あって、3年ほど前から辰平さんと仕事上の関係を持ちまして、今はJWIのアドバイザーとして辰平さんの支援をさせていただいております。

 

JWIの前身のAFAA Japanは、30年前に創設されました。辰平さんは30歳ですから、まさに辰平さんの人生とともに発展してきたといえます。

 

ところで、民間の調査によりますと、30年前に設立されて現在も存続している会社は、わずか1%に過ぎないとのことです。つまり、30年間というのは、それほどまでに変化に満ちた期間であるということであり、事業の発展だけではなく、事業や経営の継承にも成功しなければ、30年間も生き残ることはできないということであります。

 

AFAA Japanは、そのような環境の中で生き残り発展した、稀有な1社といえるのです。しかしAFAA Japanでも、数年前にその継承の危機が起こりました。それまで会社を支えてきた先代の奥村社長が急逝し、息子の辰平さんを社長にせよとの指示が、アメリカ本部から発せられました。当時まだ大学を卒業したばかりでAFAA経営にも携わっていなかった辰平さんは、まさに何も準備のない状況で事業を引き継いだわけです。

 

この「何も準備のない状況で、30歳以上の代表の若返り」しかも「その会社の社員でもない方の登用」というのは、常識では考えられないような経営の継承です。なぜそのようなことが可能だったのか。それは、辰平さんの持つ“たぐいまれな能力”つまり、

*社会の動きを洞察する力、

*人間関係を読み解いて整える力、

*それを支える知恵と技能、

の3つの能力が卓越していたことが、AFAA Japanの危機を救った力になっているのではないかと、私は確信しています。

 

3年前に、辰平さんは社名をJWIと変更しました。これは単にAFAAだけではなくZUMBA®もあるからというような理由からではなく、まさにInnovationを起こす意欲の表明であると、私は受け止めています。

 

これまでの30年が驚きに満ち溢れていたことは先にも申し述べましたが、これからの30年が、今の私たちの予測を超えた激動の30年になることは間違いありません。その未来の30年後にJWIがどのような発展を遂げ、また、JWIによってどれだけ多くの方々が幸せになっていくのかということは、今の私には予想ができません。

 

しかしながら皆さん。辰平さんは今、伴侶を得て、ご自身の生活のみならずJWIを通じて日本に喜びをもたらす新たな力を得ました。どうか皆さん、30年後のJWIが、また30年後の日本がどのようになっていくのか。そこに辰平さんがどのような貢献を果たすのか、ぜひご注目頂きたいと思います。

 

普通ならば「二人を見守って」というようなことを言うのですが、「サポートしてください」とも申しません。ぜひとも、お二人が、これからの日本を変えていく力とその姿に「ついて行っていただきたい」と思うのです。特に、社員や指導陣等のスタッフの皆さんには、必死にキャッチアップしていただかないと、社会の変化に対応したJWIの発展は望めません。

 

皆様へのお願いを申し上げて、私の祝辞とさせていただきます。」