コラム

2017.11.30 木曜日

Dr.カイボーの眼
呼吸と瞑想 (2)あるがままの自分に戻る

私は、日々の診療の中で次のようなことを感じています。

 

自分が痛みを感じていることが受け入れられない。薬で痛みを和らげてほしい、あるいは消してほしい。精神的に不安がある。薬で不安を和らげてほしい、あるいは消してほしい。患者さんの要求を解決するのが私の仕事です。薬を使えば、その症状を一瞬は和らげることができるでしょう。そして、そうすることがとても大きな救いとなることも理解できます。

 

しかし、それでは真の問題解決とは言えません。本来であれば、患者さん自身がその痛みや不安に向き合って、受け入れ認めることが、その痛みや不安を解決するスタートになるのです。解決するには時間がかかりますが、正しい道です。でも、多くの人は短期間で簡単に解決できる方法を選択することが多いのです。そしてその選択は、実はかえって泥沼にはまる可能性が高いのです。医療を否定しているのではありません。医療は適切に使えば大きな救いとなりますが、必要以上に頼るのは良くないと感じています。

 

一方で、医療を全否定するかのような論調をたまに聞くことがありますが、それも危ないと感じます。世の中、100%正しいとか間違っているとか言えることはまずないと思っています。医療は万能ではありませんが、上手に使えばかなり役に立つものです。断定口調で語る人を私は完全には信用しません。そういう部分もあるだろうくらいに聞いています。

 

日本の禅を世界に広めた鈴木大拙氏は、自分が絶対に正しいと思った時、それが正しくないという視点からそのものを見て、そこから何がわかってくるのかを感じることが大切だと述べています。そういう理解で私は、医療は万能ではないと言い、また医療人としてひとの役に立てるよう日々の診療をしているのです。

 

身体の多くの症状は理由があって生じています。その症状を消すことが解決とはなりません。強引に症状を消せば、さらなる連鎖で良くないことが起きることもあります。根本に戻ることこそが真の解決になるのです。解決とは、症状が完全になくなることではありません。必要以上に痛くはないし不安ではないという状態になるということです。

 

根本とは何か。それはあなたのことであればあなた自身、あるがままのあなたに戻ることです。呼吸を通しての瞑想はあるがままのあなたに戻ることを可能にします。ひとつとして同じ呼吸は存在しません。呼吸の微細な変化を多くの方は感じて生きていません。何も変化のない当たり前の、決まりきったことの繰り返し、と感じているかもしれません。でも本当は、どの瞬間を切り取っても他の瞬間と全く同じことはないのです。いつも自分自身、そして周囲のことを新鮮に正しく感じられるように、呼吸を通しての瞑想で追究していきます。