コラム

2019.2.12 火曜日

AFAA/ZUMBA🄬との出会い、フィットネスへの想い―金子智恵さんに聞く

 

 

 

 

 

 

金子 智恵(かねこ ともえ)

元ZUMBA教育スペシャリスト・AFAAコンサルタント、有限会社ハートアンドボディコネクション代表。東京都内を中心に日本全国でLatin Express®等のラテンダンススタイルのフィットネスプログラムをはじめ、ピラティス等の調整系を含むプログラムを幅広く指導中。

 

奥村 今回は長年にわたり日本のフィットネス業界を牽引してこられた金子さんにお越しいただきました。フィットネス全般のことはもちろん、AFAAやZUMBA🄬の魅力やJWIに関することもお聞きしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

中村 金子さんがフィットネスに関わり始めたのはいつ頃で、どのようなきっかけがあったのでしょうか?

金子 不純な動機で、痩せたいからと(笑)。中学の時に水泳、高校大学では陸上をやっていて、大学の途中でやめた途端にものすごく太ったんです。お金もない大学生の私が痩せたいと思い探し当てたのが、伊勢丹デパートのカルチャーセンター「クローバーサークル」で、ジャッキー・ソーレンセンのアロービックダンシングに出会いました。

中村 伊勢丹デパートがエアロビクスを?

金子 カルチャーセンターのクラスは、会費が月7,000円と手頃だったのです。当時のフィットネスクラブは入会金数十万、月会費も数万円という時代で、地方から出て一人暮らしをしている学生にはとても手が出ませんでした。始めてから1年も経たないうちに「インストラクターになりませんか?」と先生に誘われてオーディションを受け、1982年にアロービックダンシングの専属インストラクターになりました。

中村 その頃、ジャッキー・ソーレンセンが日本でもインストラクター養成を始めていたのですね。

金子 はい、芸能プロダクションである第一プロダクションの社長が日本アロービックダンシング株式会社を設立し、正式なフランチャイズ契約を結んで運営していました。ジェニー中尾をカリスマタレントとしてブームを作っていったんです。

当時、日本人のインストラクターはまだ20人くらいで、オーディションも50人受けて合格するのは5人程度でした。記憶にある方もいらっしゃると思いますが、当時日本テレビで「ルックルックこんにちは」という番組がありまして、ジェニー中尾がコーナーを担当していたんです。だから知名度が高くて、オーディションを受ける人も多かったんですね。

中村 そのオーディションに大学在学中に合格して…すごいですね。

金子 私は子どもの頃から踊りが好きでしたが「体の硬いあなたには無理よ」と親に抑えられていたので、願望が爆発してインストラクターになっちゃいました(笑)。アロービックダンスのインストラクターは3年間続けて、そのあとにフリーになり、プレコリオではなく自分でプログラミングするエアロビクスのインストラクターになりました。

元々ラテン音楽が好きで、ラテンのダンスをフィットネスとしてアレンジすることを考えていました。ただ、それまでやってきたアロービックダンシングはプレコリオで与えられた振付を覚えて教えることが仕事。養成コースを出ているわけでもなく、何の知識もない状態でインストラクターになったんですね。勉強しないとこの先この業界で生きていけないなと思って自分で勉強し始めました。

中村 どんな勉強を?

金子 ワークアウトの本を買ってどんな動きがあるのか自分で研究したり、他の人のクラスに出かけたり。アメリカのフィットネス団体IDEA(International Dance Exercise Association,, 現IDEA Health&Fitness Association)のコンベンションにも行きました。また、サンフランシスコに友達が留学していたので、サンフランシスコにもよく行っていました。

中村 本場のアメリカにも勉強しに行かれたのですね!

金子 あの頃のインストラクターはみんなそうだと思います。日本ではあまり情報がなくて、アメリカの先生を呼んで養成コースを開いている時代でしたから。サンフランシスコには小さなスタジオがたくさんあって、有名な先生方が多かったので、そういう先生方のレッスンに出ていました。

中村 AFAAが日本に入ってきたのは1988年ですが、AFAAとの関わりは?

金子 自分の勉強してきたことが正しかったかどうか試してみようと思って、AFAAの認定の試験を受けました。「合格できなかったらフィットネスインストラクターは辞めよう」とまで思っていました。でも、AFAAのテキストを読んでも書いてあることが全然分からない。「何を言っているんだろう、これ?」って感じで、「私、絶対落ちる」って思いながら試験を受けました。

中村 でも試験に合格したんですよね。AFAAで学ぶことで何が変わりましたか?

金子 フィットネスの理論や解剖学などの知識が本当に薄っぺらな状態でインストラクターとして活動していたので、心の隅で自信を持てずにいました。そして認定試験を受けて知識の無さを自覚しました。でも、合格したことで自分自身をしっかり持てるようになったと思います。

AFAAライセンスは世界に共通すると思っていましたし、海外への興味がとても強かったので、フィットネスプレゼンターとして海外でチャレンジしたいと思いました。まずはイタリアが大好きだったので、イタリアのコンベンションで力を試したいと思いました。

中村 イタリアですか…。

金子 イタリアが大好きで何度もイタリアに旅行しているうちに、イタリアにも絶対フィットネスがあるはずだと思い窓口になってくださる人を探していました。競技エアロビック団体の日本エアロビック連盟が日本で開催している「スズキワールドカップ(当時はドールカップ全日本エアロビック選手権大会、第1回開催は1984年)」で知名度の高い海外の選手が来日していたので、ワークショップや懇親パーティーに出かけて「イタリア行きたいけれど、誰とコンタクトしたら良い?」って聞いて回りました。その場でミミ・アダミという人のことを教えてもらい、ミミに「プレゼンターとしてイタリアに行きたい」と手紙を書いたんですよ。

その翌年にアメリカのAPEXイベントに行ってリーボックのウォーキンクセッションに出たら、なんと、そこにミミ・アダミがいたんです! セッション終了後に挨拶に行ったのがきっかけとなって、彼女が私にチャンスをくれたんですよ。私のことを何も知らないのに「イタリアに行きたい」と言ったら「いらっしゃい」と言って。ノルチャという城壁に囲まれている小さな町で開催されていた〈フィットネスウィーク〉というコンベンションでした。まるで合宿の様に過ごす一週間は最高でしたね。1995年のことでした。

中村 その間、AFAAでの活動は?

金子 その頃はエグザミナーとコンサルタントに分かれていて、エグザミナーの試験を受け、さらにコンサルタントになりました。PIC(現PC)のジャッジやOJTに参加する一方で、ワークショップで自分のオリジナルプログラムを提供していました。当時コンサルタントだった友人と一緒にラテンフィットネスのプログラムを開発していたので、AFAAの中では主にラテンのワークショップを提供させて頂いていました。

中村 2008年にZUMBA🄬が日本に導入されました。以前、初代ZESの4人(古川真理・坂口昌子・和田野広美・豊福章江さん)にお話をうかがった時に、最初のオーディションの時から金子さんは指導的な立場にいたとお聞きしました。まず、金子さんとZUMBA🄬との出会いについてお聞かせください。

金子 実は、ZUMBA🄬というプログラムがあることはミミ・アダミから聞いていたんですよ。名前は知っていたけれども実際に体験したことはなく、AFAA台湾のカンファレンスにプレゼンターとして出かけた時に、奥村前社長から「日本でもZUMBA🄬を展開するので通訳をして欲しい」と言われて参加したのがきっかけでした。

中村 金子さんはラテンのプログラムも展開していたし適任だと思われたのでしょう。ZUMBA🄬の第一印象、どうでしたか?

金子 「何をやっているか全然分からなくてついていけない」「インストラクターは何も喋らないし、何が何だか分からないけれどみんな盛り上がっている」、「何だこれ?」という感じです。ついていけない自分が許せないという闘争心がメラメラ、指導のルールを知りたいという願望がふつふつと(笑)。

中村 日本で展開することになった時にも前社長から「通訳をやってくれないか?」と言われたのですね。

金子 最初はいろいろ混乱しました。ZUMBA🄬のシステムが分かってないので、とにかく言われたことをそのまま通訳するしかないと。

中村 アメリカ人ZESのレクチャー自体が金子さん自身でも学ぶべき内容で、それを通訳していたわけですからね。

金子 だから最初はすごく苦しかったです。ZESオーディションに合格した直後のトレーニングなど、今から思うとみんな大変だったと思います。

中村 4人のZESの皆さん、そんな苦労話はしていませんでしたよ。金子さんから教えてもらったと。通訳をしながらトレーニングにも加わってみて、どうでしたか?

金子 頭の中がすごく整理できました。通訳しながら「そういうことか」とよく分かってきて、トレーニングが2度3度と重なるにつれて、アメリカのZESたちが伝えようとしていることを、より的確な言葉で伝えることができるようになりました。

中村 初代ZESの人たちが一緒に学びながら、日本でのプログラム展開をどうするか知恵を絞って一体となって作っていったのですね。金子さんにとってZUMBA🄬とは、どのようなものでしたか?

金子 それまで「フィットネス」というと、ストイックに取り組むというイメージがあったと思います。それを「パーティーのように誰でも楽しめるフィットネス」と、今まで誰も言っていなかったことを売りにしていて、他のプログラムとは全く違うと思いました。

でも、自分がそうであったように、初めて参加してすぐに入っていくことができない人、動けない人にとってはきついな、基本の4つのステップはシンプルでもキューイングが上手にできないと混乱するだろうな、と最初に思いました。みんなが付いてこられるようなキューイングをすることが自分にとってのチャレンジでした。

中村 フロアにいるお客さんが付いてこられるようなキューイングを出そうと。

金子 それがAFAAの教育プログラムとしてZUMBA🄬を展開することの意味だと思ったのです。「教育団体が提供するプログラムだから教育的であるべき」という考えが私の根本にあったので。ただ楽しいだけではなくて、「AFAAが発信するプログラムとしてみんなが安全に運動できて運動効果もあるということを前提としていなければ」というこだわりが私にはありました。

中村 金子さんは現在Latin Express®などのラテンダンススタイルのフィットネスプログラムを展開しインストラクター養成にも取り組んでいらっしゃいますが、最後にJWIのメンバーやインストラクターの皆さんに向けてメッセージをお願いします。

金子 自分の得意分野をもっと伸ばしていって、積極的に発信してほしいと思います。皆さんそれぞれにご自身の指導の根本にあるプログラムコンセプトや思い入れを持っていらっしゃると思うんですよ。それを形にして発信してもらいたいと思います。

それから、今はプレコリオが流行っていて、エアロビクスの養成コースの経験がない方も多いと思いますが、フィットネスやエアロビクス、あるいはいわゆるカーディオエクササイズの指導をする際には何が大切なのか、基本をしっかりと学んでほしいですね。

そして学んだことを実際に現場で活かしていく中で、何が自分に必要か見えてくるはずです。基本の柱を学んだ後ももっと知識を深めていってほしいと思います。特に今の時代は変化が早いので、その情報の変化についていけるように、いつもアンテナを立てて勉強し続けなければなりません。これは私自身もそうです。

中村 金子さん自身も、これからももっと勉強したいと。

金子 はい。私もだんだん歳を取っていくわけですが、どうやって身体を楽に(機能的に)動かすかということを考えていきたいし、私のお客さまたちが「身体が楽になった、もっとフィットネスを楽しみたい」と思っていただけるようなプログラムを提供していきたいと思っています。パワーアップのための筋トレも必要ですが、健康に長生きするための機能的な運動をラテンを通じて指導していきたいと思います。

奥村 金子さんおっしゃった「自分の得意分野をもっと発信していって欲しい」というフレーズがとても私の心に響きました。JWIはまさにインストラクターの皆様のそれを発信していくプラットフォームでありたいと思っております。その結果、より多くのインストラクターさんのキャリアや成功をサポートすることを目指していきたいです。本日は本当にありがとうございました。