コラム

2019.1.17 木曜日

フィットネス業界はセカンドステージへ―JWIに期待する

 

 

 

 

 

 

杉浦 伸郎(すぎうら しんろう)

日本ポールウォーキング協会特別顧問、ソーシャルフィットネス事務局マーケティングマネージャー、コーチズ代表取締役

 

 

 

 

 

 

 

聞き手

中村好男 早稲田大学スポーツ科学学術院教授、JWIアドバイザー

奥村辰平 (株)Japan Wellness Innovation 代表取締役社長

 

奥村 昨年(2018年)、AFAAは日本で展開を開始してから30周年を迎えました。そこで今日はAFAA JAPAN草創期に社長として活動されるなど、長年にわたりフィットネス業界で活躍されている杉浦伸郎さんにお話を伺います。

中村 杉浦さんはアメリカ・スプリングフィールド大学大学院を修了後、ケネスクーパー研究所研究員を経てAFAA JAPAN代表に就任されたとお聞きしています。そのあたりのお話からお聞かせ下さい。

杉浦 大学を卒業後1984年から86年にかけて、当時日本ではまだマイナーだったラケットボールのインストラクターをしていました。海外の選手とプレーをする機会も多く、アメリカでは大学でフィットネスやヘルスエデュケーションの学科や専攻があると聞き、フィットネスを専門的に勉強できるなんて面白そうだと思いました。

それでスプリングフィールドの大学院に入学して、企業フィットネスを研究テーマとしました。継続インセンティブやモチベーションの上げ方、コーチング方法等々、アメリカでは研究がかなり進んでいて刺激を受けました。また大学院在学中にエアロビクスの提唱者・ケネスクーパーの研究所にインターンとして通う機会に恵まれ、修了後は研究員として継続教育を受けていました。

中村 日本に帰国されたのはいつですか?

杉浦 1988年です。日本でもエアロビクスブームが始まって、セゾングループがライセンス事業に乗り出していたところでした。5年契約でAFAAのライセンスホルダーとなり、マネジメントの担当者を探していたようです。当時、私はスポーツトレンドのライターもしていて、たまたまフィットネス雑誌にエアロビクスの話をいろいろ書いていました。それがセゾングループスポーツシステム会社の社長の目に留まってリクルートされたのです。

池袋のサンシャインのリボン館にそのスポーツ事業部があり、当時日本で一番大きかったフィットネスクラブを運営していて、キーインストラクターを主たる指導者としてAFAAの事業展開を始めたんですね。社員2人、会員約200人からのスタートでした。

中村 その後、1992年にAFAA JAPAN代表に就任されて、オフィスはリボン館から移されたのですか?

杉浦 はい。品川区高輪の、今、ユニセフの本部があるあたりでした。マンションの一室を間借りして、退職された西武百貨店の国際法務部長と共同で「AFAA JAPANアソシエイツ」としてのスタートでした。

中村 それからAFAAの日本展開をはじめ、長年にわたりフィットネス業界に関わってこられたのですね。杉浦さんからご覧になって、これまでのフィットネス業界の流れについてどのように思われますか?

杉浦 フィットネスの仕事に従事して35年になりますが、振り返ると大きく分けて2つのステージがあったと思います。前半は、フィットネスとは元気な方たち、あるいは感度の高い方たちのもので、フィットネスクラブという心地よい空間の中で新しい価値を作っていく、先進国ならではのハイエンド(最上級)のメソッドを提供していくステージです。

確かにクラブに通う人たちのQOLは高まり、非常にチャレンジングなマーケットでした。しかし、その後フィットネス人口が増えたかというとそうではなくて、いまだに3%台ですよね。フィットネスに関与しなくてもその人の人生にはあまり影響しない。「コマーシャルフィットネス」という一つのくくりの中では産業としては面白いけども、人の出入りは回転ドア式で3%から伸びないという状況になりました。

そこから先が次のステージになります。日本も超高齢化社会を迎え、運動することによってQOLが高まり健康になるということは誰もが分かっているけれども、「やり方が分からない」「続かない」という方々の莫大なマーケットができました。

それまでのフィットネス業界がレッドオーシャン(激しい競争が行われている既存の市場)であるとすると、人生100年時代になりシニアの人たちが大半を占めるマーケットはブルーオーシャン(競争相手のいない未開拓の市場)なんです。フィットネスクラブに興味があっても、「この格好じゃ行けないでしょう、シェイプアップしてからじゃないと」あるいは「私が行くようなところじゃない」と言う人たちが圧倒的に多いマーケットです。

しかも、新たに資本を投じる必要はほとんどなくて、既存の内容やアプローチの仕方を修正すれば済むことです。例えば場所は大型の施設でなくて、公園などの屋外や集会場でもよいわけです。

今はそのようなステージに入っていて、健康になりたいけれどやり方が分からない人たちにどのようなフィットネスのメニューを提供したら来て下さるのか、非常に興味をもっています。

中村 杉浦さんご自身も3%の領域から97%の領域に軸を移されているのですね。

杉浦 コマーシャルフィットネスからパブリックフィットネスあるいはソーシャルフィットネスの領域に行かないと、いつまでも3%の領域から広がらない。そこで開発したのがシニア世代を対象にしたポールウォーキングです。市民権を得るまでに十数年かかりましたが、地域包括ケアの流れが一気に始まって、一人の指導者で標準化できるようなプログラムが求められるようになり、そこにポールウォーキングがずばっと入ったんです。

ポールウォーキングは転ばないので安全ですし、歩いているうちに元気になってくる。やり方もだいたい決まっていますから、現役シニアの方にも指導方法を覚えていただいて、私たちがいなくても自分たちでサークル化することができ、新しい人を呼び込んでいく。そんな感じで広がってきたという感じです。

2011年の東日本大震災の後、福島県飯舘村のプロジェクトに参加したことがありました。飯舘村ではほとんどの方が田畑の仕事や畜産で日常の身体活動量が多いんですね。それがいきなり狭小な仮設住宅に入らざるを得なくなって、当然ストレスも蓄積しほとんどの方が運動不足で肥満になりました。これは危険だということで、ポールウォークを採用していただいたのです。

現地の若者たちを10人ほどリクルートしてポールウォーキングを教え、その他に筋トレやストレッチも取り入れていくうちに住民の皆さんが元気になったんですね。しかしプロジェクトの介入が2年で終わると、また全員が元の身体に戻ってしまった。震災直後は被災された皆さんが大変なので私たちが寄り添うという形で入っていたのですが、結果的に続かなかった。寄り添いのアプローチの後に自分で意思決定して自分で動く自助の世界を作ることが必要だと痛感しました。

採用した若者たちにも「プロジェクトが終わったから君たちごめんね」とも言えない。そこで「コーチズ伊達」という会社を作ったんです。福島県伊達市を拠点にして、市の健康推進事業や周辺の市町村の健康運動教室を請け負うことなり、今年で6年目になりました。

中村 それが健康医療産業推進機構のソーシャルフィットネス事務局へとつながったのですね。

杉浦 はい。1年前に始まりました。フィットネスは、楽しんでいるうちに結果的に体を動かすようになり健康になるのが理想です。たとえスタジオやマシンや音楽がなくても、もしくはそういったところになかなか足を運ばない方たちとって、何がその代わりとなるのかというと、コミュニティなんですね。そしてそこにはベテランの指導者たちが活き活きと活動している、それがソーシャルフィットネスです。例えば地域のセンターや自治会などソーシャルな場でもフィットネスは展開できるという考え方で進めています。

今のところ「介護予防」という切り口がメインで、地域包括支援センターや市町村から依頼を受けることが多いのですが、私としてはフィットネスクラブのポテンシャルは大きいと思っているんですね。フィットネスクラブのフロントで荷物だけ預かって、外の公園にウォーキングに出る。フィットネスクラブがそのような受け皿となることによって、新たな価値を作り出せると思っています。

中村 既存のフィットネスインストラクターも活動する余地がありそうな気がします。

杉浦 そうなんです。教え方も喋りも上手、見た目も素敵だから、皆さん喜ぶんですね。私はフィットネスクラブ(箱モノビジネス)を否定するわけではなくて、その世界で切磋琢磨することによってプレゼンテーションスキルも確実に向上します。加えて、地域に根ざした健康づくり事業にとっても、フィットネスインストラクターほど素晴らしい人材はいません。待っている人たち、「わあ楽しい」って言ってくれる人たちが沢山いるので、「週に1回でもいいから地域(介護予防)や職域(健康経営)で教えてみませんか?」と動き始めたところです。

中村 フィットネスの世界でインストラクターやトレーナーという指導者の人たちがいる。でも目を転じて見ると、「あなたたちの技能を必要としている場所がもっとありますよ」というご提案ですね。最後に、杉浦さんはJWIにどのようなことを期待されているでしょうか?

杉浦 教育団体というと、「こうあるべき」「こうしなければならない」とティーチングするという発想になりがちですが、「健康になるためにフィットネスをやれ」って言っても誰もやりませんよね。でもJWIの提供価値は、とにかく楽しいことをやって人々の人生の質を高めていく、その良き伴走者としてバラエティに富んだ多様なプログラムを提供するプラットフォームになっていると思っています。

ただ、楽しさを前提として安全性をどう担保するかという点は欠かせない。それはまさにAFAAの理念であり精神であり、AFAAが培ってきた「AFAAらしさ」の中心ですよね。全性確保のためにスタンダード&ガイドラインを作ったことがAFAAのアイデンティティとなっている。そして、PCで基本を押さえしっかりとコーチングができて楽しさの演出もできる素晴らしい人材がJWIにはいると思います。

これからコマーシャルフィットネスの場で燃え尽きてしまう人、あるいは既に燃え尽きてしまった人もいるかもしれない。そんなワークライフバランスが崩れそうな仲間に対しても、メンバーが輪になってサポートしあう互助や共創の概念がJWIにはあると思います。

中村 奥村さん、お話を伺っていていかがですか?

奥村 AFAAを育ててこられた杉浦さんのお話をお聞きすることができてとてもよかったです。今のJWIの方向性にも可能性を感じていただいているということ、大変嬉しく思いそして感謝しております。

インストラクターの皆様の将来のため、より手綱を締めて頑張りたいという気持ちになりました。本日はお越しくださいまして誠にありがとうございました。

中村 ありがとうございます。