コラム

2018.7.10 火曜日

スペシャルインタビュー 上間功真さんに聞く(総集編)

◇ZUMBA® JAMMER への道のり

◇ZJ として、STRONG by Zumba®マスタートレーナーとして

 

 

◇ZUMBA® JAMMER への道のり

 

奥村 ZUMBA® JAPANでは現在、第3期のZESと第2期 JAMMER(以下ZJ)のオーディション中で、6月には新ZES/ZJが誕生する予定です。そこで今日は、第1期ZJの上間功真さんに、これまでのフィットネスやZUMBA®との関わりについて、お話を伺いたいと思います。

 

中村 上間さんはどのようなきっかけでフィットネスの仕事に携わるようになったのですか?

 

上間 高校の時にバスケットボール部にいたのですが、1年の夏に、練習中突然、椎間板症という腰痛を起こしました。シュートをして着地をしたら腰に電気が走ったように激痛がして、それ以来、日常生活は大丈夫だったのですが、前屈や後屈、ジャンプしたり走ったりする時に痛みを感じるようになりました。

これ以上悪化させないために、病院に通いリハビリをしながら腹筋や背筋などの周りの筋肉のトレーニングを始めました。その時に初めて身体を支える筋肉の仕組みやトレーニング、病院でリハビリをしてくださった理学療法士(PT)の仕事に興味をもつようになったんです。将来はトレーナーの仕事をしたいと考えるようになり、名古屋大学の医学部保健学科を受験しました。

 

中村 ご出身の沖縄から名古屋大学を受けたのには何か理由があったのですか?

 

上間 たまたまその頃見ていた解剖学の本の著者が名古屋大学の先生で、保健学科には理学療法科があったので。でも、受験に落ちてしまって一浪したんですね(笑)。途中からトレーニングや身体の仕組みを勉強したいという元々の思いが強く出てきて、受験勉強に対しての価値が見出せなくなってしまいました。たまたま、新聞で4月に開校するスポーツの専門学校の広告を目にして、4年間大学に通うよりは2年間でぎゅっとまとめてすぐにデビューした方がいいと思い、専門学校に進学することに決めました。

専門学校に入って、受付業務ですがフィットネスクラブのアルバイト募集があって、フィットネスやエアロビクスにはまったく興味がなかったのですが、調べてみたらマシンジムもあるしトレーニングもできる、トレーナー業に関わるチャンスかなと思いアルバイトを始めました。

 

中村 フィットネスクラブでのアルバイトが上間さんのフィットネスとの出会いだったのですね。

 

上間 学校でも授業の一環としてエアロビクスやヨガ、太極拳などを経験していたのですが、フィットネスクラブのアルバイト仕事の都合でストリートダンスのレッスンを受けたことも大きかったです。

それまでは音楽やダンスには興味がなくて、人前で表現することを毛嫌いしていたけれども、ダンスを一度やってみたら楽しくて、休みのたびにダンスのレギュラーレッスンに出させてもらいました。当時、沖縄県では毎年フィットネスクラブ対抗のダンスコンテストがあって、クラブのお客さんと一緒のチームで出たら、なんと優勝することができたんです。4年連続優勝したんですよ!

その間に審査員の方たちと話をさせてもらって、ダンススクールをやっている先生の許に半年ぐらい通いました。ダンスでは、できなかった技ができるようになったり、ユーチューブで動画を見たりして、それまで目に触れていなかったことがどんどん入ってくるのですごく面白かったんです。それが自分自身のダンスのベースを作ったと思っています。

 

中村 県のダンスコンテストで4年連続優勝ですか。すごいですね。ZUMBA®を始めたのはいつですか?

 

上間 専門学校を卒業すると同時に受付からトレーナーセクションに異動となり、フィットネスクラブの社員に昇格し、その後、店舗の異動が決まってスタジオ担当となりました。2009年1月に会社の企画としてZUMBA®を採り入れることになり、私を含めて3人が代表でレベル1(今のB1)を受講に行きました。

 

中村 ZUMBA®が日本で本格的に展開されるようになったのは2008年ですから、草創期の頃にZUMBA®を始めたのですね。レベル1の受講はどちらに?

 

上間 名古屋です(笑)。講習会が直近にあったので。

 

中村 トレーナーになるために受験した大学は名古屋、初めてZUMBA®のレベル1を受講したのも名古屋、なんですね。

 

上間 はい、私のターニングポイントには名古屋がいつもあると思います。ZJとなってから引っ越ししたのも名古屋ですから。レベル1を取って沖縄に帰ってから、すぐにZUMBA®のレッスンを始めました。手元にあるのはスターターキットだけ、どう教えたらいいのか分からないまま、スタートだけが決まっていたという状態でした。

 

中村 最初の教室、どうでしたか?

 

上間 すごく恥ずかしい話なんですけれども、第1回ではトレーニングコースの2日間でマスターできた4曲を2セット繰り返したんですよ。普通、1時間のクラスで10曲ぐらいいろいろなジャンルの曲をかけるのですが、同じ4曲を2セットで、振付も一緒(笑)。

スターターキットをもらってクラスを始めるまでに1か月程度しかなくて、ZUMBA®のレッスン開始の宣伝もしなければなりません。4曲以外の曲はとても全部マスターできない、どう教えていいかよくわからないという状態でした。お客さんとしてはZUMBA®が初めてなので何とも思われなかったかもしれませんが、今から思うとすごいことをやっていたなと(笑)。

 

中村 今ではZUMBA®のレッスンを受けたことがある人がB1を受けるのが一般的と思いますが、草創期ならではのお話ですね。

 

上間 はい、ZUMBA®のレッスンを受けずにいきなりトレーニングコースに入ったので。サルサは知っていたけれどもメレンゲ、レゲトン、クンビア、初めて聞く言葉ばかりでしたし、ZUMBA®の全体像が見えていなかったと思います。最初の4週間は、今から思えば何をやっていたんだろうという謎の4週間でした。沖縄では僕よりも2か月ぐらい早くにZUMBA®デビューをしていた先輩がいましたが、皆同じ状況にいたのではと思います。

その後はZINに登録したので毎月曲が配信され、過去のCDも買いあさりました。毎月、全曲変えていったのですが、他にフィットネスクラブの社員としての仕事もあったので、一時それがすごく負担になっていました。ちょっとずつ変える曲数を減らしたりして調整をしたり、他の店舗でレッスンをもっている人から情報を得て、DVDの曲の使い方を教えてもらったりしながら進めていきました。

 

中村 ZUMBA®レッスンがスタートしてから定着するまで、順調だったのですね。

 

上間 最大40名のスペースでいきなり50人ほどが集まって、2週目からも減ることがなく順調でした。最初の頃は週3回ぐらいレッスンをもっていました。

 

中村 ZJのオーディションは何年に受けたのですか?

 

上間 2013年です。沖縄では当時情報が伝わるスピードが遅くて私は全然知らなかったのですが、以前クラスに参加していたお客さんから「ZJのオーディションがあるから受けてみてはどうか」と勧められました。そのお客さんは転勤で東京に引っ越しして、東京でZUMBA®のレッスンを受けていて情報を得られたようです。ずっと1か所のスポーツクラブにいたので、外に出た時に自分はどのくらいの立ち位置にいるのか、力試しをしてみたいと思いました。

 

 

◇ZJ として、STRONG by Zumba®マスタートレーナーとして

 

中村 オーディションの結果、ZJに選ばれたわけですね。

 

上間 最終審査に20人ぐらい残り、私も含めて4人が選ばれ、ZJとしてJam Sessionを担当するようになりました。最終選考通過後、JWIからも「フィットネスクラブの社員として残りながらZJとしての仕事をするのか、両立できるかどうかよく考えて下さい」と言われましたが、最初は両立できるかどうか、手探りの状態でした。

Jam Sessionが始まる前にAsia Conference が横浜であって、Conferenceの間は自分の仕事が進まないので代行をお願いし、戻っても休む間がほとんどなかったので、両立させるのはきついかなと思い始めました。3店舗をまとめているクラブのディレクターの方に相談したら、次のポストの人に仕事を教えながらZJとして一本化していってはどうかと言っていただき、半年ほどかけてから退職しました。ZJは他の仕事をやりながらできることではないし、質のいいZJとしての仕事をするためには、中途半端にはしたくないと思いましたので。

 

中村 ZJとしての仕事に一本化するまでの間に半年かかったわけですね。フリーでオーディションを受けて合格するという人はそれほどいなかったのですか?

 

奥村 逆に、受けた人はほとんどがフリーの人でした。社員としてオーディションを受けて合格するのはむしろレアなケースだったと思います。

 

上間 今は選考を通過したZJ全員がフリーになっています。

 

中村 ZJとなってからもさらにスキルアップしていくことを目指されたわけですね。フィットネスクラブの社員として活動していたことは、ZJあるいはフリーランスとしての仕事をするうえで役に立ったと思いますか?

 

上間 フリーランスとして活動する際に役立ったと思います。たとえば、クラブ側が企画や運営にあたって考えていることは自分が考えていたことでもあるので理解できるし、自分の方からも提案することができる。今の立場となってフリーランスの気持ちもわかるので、うまい具合に歩み寄っていけるのではないかと。フリーになっても組織と交渉する場面はたくさんあります。組織としての考えやしきたりに触れることができたのは大きかったと思います。

 

中村 今、第2期ZJのオーディション中と聞きましたが、オーディションを審査する側となって、最近のオーディションを受ける人や候補者はどのようにご覧になっていますか?

 

上間 Jam Sessionが日本で始まって4、5年目となりました。Jam Sessionのコリオの流れを理解している人が増えていて、学んだことを踏まえて振付を作っていると思います。ダンススキル自体も全体的に上がってきていますね。

 

中村 上間さんご自身で、世界のZJの中で模範にしたいZJはいますか?

 

上間 目標にしているZJは何人かいて、それぞれにポイントがあるのですが、レッスンの丁寧な運び方、イベントの始まりから終わるまでの姿勢は本当に見習うべきところが多いです。その中でもオランダのZJのJeffreyは、いろいろな人がちゃんとレッスンを受けられるようにキューイングも丁寧ですし、慣れている人も初めての人も気持ち良くついていけるような状態にもっていくのを生で見させてもらって、すごいと思っています。

レッスンをする上での引き出しが多くて、単純にキューイングするだけではなくて、キューイングそのものが面白かったりするんです。それに、今のJam Sessionの流れは彼が作ったので、尊敬に値します。Jeffreyのようになりたいですね。

 

中村 ZJも含めて、インストラクターとして何が大事だと思っていますか?

 

上間 元々、トレーナーの仕事に魅力を感じていた理由の一つに、表には出てこないけれど縁の下の力持ちというイメージがありました。ZUMBA®のインストラクターとなってからは表に立つことが多くなりましたが、基本的には参加してくださる方々がうまく動けるようにするという意味では同じ縁の下の力持ち。そこは常に意識しています。

 

中村 トレーナーの資格や知識はエアロビクスやZUMBA®インストラクターにも生かされると思いますか?

 

上間 はい、必要だと思います。たとえばB1はあくまでもZUMBA®のインストラクターのためのプログラムで、フィットネスインストラクターとして人前に立って仕事をする上で必要な知識は、それとは別に勉強しておいた方がいいですね。この動きにはどういうリスクがあるのか、ストレッチをするとしてもどの筋肉をどのように伸ばすのかあるいは収縮させるのか、基本的な知識が分かっているのと分からないのとでは全然違うと思います。

ZUMBA®やエアロビクスをずっと続けていて、感覚として分かっている人がいたとしても、知識として身につけているとより説得力のある説明ができますし、何故そうするのか、伝えることができると思います。

 

中村 これからZJを目指す人に期待することは何でしょうか。

 

上間 日本だけではなく世界からも注目されるZJになって欲しいです。自分のワークショップやクラスに参加している人たちの眼に見えないところまで意識しながら普段のセッションを過ごしていただきたいですね。それから、いろいろな人に平等に接してほしいと思います。人間なので合う・合わない、好き嫌いが出てくると思いますが、それを踏まえてもZJという立場に立つ以上は全員フラットに、同じように指導しアドバイスできる、そういう人にZJになっていただきたいです。

 

中村 上間さんにとって、ZJとは何ですか? これから何を目指していきたいですか?

 

上間 ZJは自分自身が誇れるものであり、今の生きがいです。ZJとしての目標を一つ挙げるとしたら、一度でいいので海外で仕事がしてみたい。Jam Sessionに限らず、いつか海外のイベントや夏のコンベンションのプレゼンターをやってみたいと思っています。

私はこの4月からStrong by ZUMBA®(SBZ)のマスターとして活動を始めていて、ZJは形の上ではお休みとなります。ZJ資格を失うわけではないのですが、始まって間もないSBZの普及発展に努めていきたいと思っています。

 

中村 古川真理さんに続いて2人目のSBZフロンティアになるわけですね。どのように発展させていこうと思っていますか。

 

上間 SBZは「音楽」と「効果音」に合わせた高強度インターバルトレーニング系のプログラムです。パンチキックがあったり筋トレがあったりで、一人で黙ってやるのはしんどいところがありますが、音があることで自分自身を引き上げてくれます。また、周りの人たちと一緒にやっていくので、だんだんナチュラルハイになってきて、終わった後には今までの自分に打ち克ったという感じになります。

高強度のプログラムですが、強度変換は私たちインストラクターからも伝えることができますし、参加者も現在の自分のレベルに合わせて強度を選択することもできます。いろいろな人ができるということをまず、多くの人に分かっていただきたいと思っています。「SBZはきつい」という情報が先行していますが、やってみると本当に楽しくて爽快感もある。どんどん広めていって、ダンス系以外のプログラムの中で頭一つ以上出たいという思いがあります。

 

奥村 今期はトレーニングコースを日本全国で51回予定しています。私が先日アメリカZUMBA®協会に行ったときに社長さんが“Strong by Zumba is our new baby. I’m sure it will be a strong baby.”(SBZは私たちの新しい赤ちゃんです。ストロングな赤ちゃんになりますよ)と言っていました。SBZへの想いを共有していただき、私たちもこの赤ちゃんのために全力を尽くそうと思いました。上間さんなら、その赤ちゃんをビッグな大人にしていただけると確信しております。

 

中村 これからはSBZに軸足を移して活動されるのですね。上間さん、最後に一言、お願いします。

 

上間 SBZのマスタートレーナーとしてのやりがいを感じています。元々トレーナーを目指していたので、トレーニングがプログラムの中に入っていること自体が自分では面白くて、発展性があると感じています。様々な動作があり、動いていくうちに効率の良い体の使い方を覚えたり、体力の変化を感じたりする。先週上手くいかなかったことが今週はうまくいった、翌週はもっと、という自分の成長を発見することできるのがSBZです。たくさんの方々にSBZを楽しんでいただきたいと心から願っています。

 

中村・奥村 ありがとうございました。